かつて正月映画といえば「男はつらいよ」シリーズだった。主役の車寅次郎を演じた渥美清さん(1996年死去、享年68)が最後に出演した第48作(95年12月公開)以降も、2019年末に「お帰り 寅さん」が公開されるなど、同作は日本の大衆文化に根付いている。そこで、レギュラー俳優3人の裏話を、昨年12月に亡くなった源吉役・佐藤蛾次郎さん(享年78)の証言で紹介する。
【寅さん=渥美清さん】
「飲み屋では浅草時代の仲間である関敬六さんらが一緒やった。誘いの電話で店に行くと、その日、渥美さんのお母さんが亡くなっていたのに、俺は知らずに騒いで、本人は何も言わずに笑っていた。後で関さんに『渥美さんが、蛾次郎と一緒に騒ぎたいと言うので呼んだ』と聞かされた。そんな寂しがり屋の一面もありました」
「松田優作と俺の2人で、互いの名前の頭文字から『優蛾(ゆうが)な、優蛾なコンサート』と銘打ったライブを渋谷でやった時、会場の後ろにいたサファリルックの渥美さんが花束を手にステージに上がって来られて、『蛾次郎、頑張れよ!こんな男ですけど、みなさんよろしくお願いします』と挨拶された。絶対に表には出ない人やのに…。うれしかったね」
「渥美さんは『蛾次郎、最近、何かいい映画か芝居見た?』と俺に聞いてきた。リサーチしてたんやね。仕事の話は一切しない。映画館で『ガジロー』と声がする方を見ると、サファリシャツに帽子を深く被ったアニキがいた。すれ違う分には渥美清とは全然分からない。普通に客席に溶け込んでいた。目立たない格好でフラッと一人で映画館に来る人やった」
「俺は料理好きで、まかないのカレーを作ってたんですが、渥美さんはいつも残しとった。そんなに食べられない人でした。それが第48作の現場で『L(サイズ)ください』って大盛りにして全部、食べてくださり、『蛾次郎、ありがとう。おいしかったよ。いつも、ごくろうさんだったね』と声をかけてくれた。それが最後の言葉でした」
「72年末公開の第10作『寅次郎夢枕』で、その年に結婚した女房の花嫁衣装シーンがあって、俺も山田監督から衣装部屋に行くように言われた。用意されていた紋付きハカマを着てセットに戻ると、女房と渥美さんらが待っていて、カメラマンの篠山紀信さんも!紀信さんは雑誌の表紙で渥美さんを撮りに来ていて、渥美さんが『蛾次郎も撮ってやってくれませんか』と頼んでくださったと。金がなくて結婚式ができなかった俺ら夫婦のために。そういう人やった。撮影の合間、休憩している渥美さんに、俺が『田所康雄さん、おはよう』って本名で声をかけると、うれしそうな顔してた」
【さくら=倍賞千恵子】
「倍賞さんとタヒチに行ったことがある。山田洋次監督、渥美さんやスタッフも一緒です。初日、倍賞さんはワンピースの水着を着てたけど、俺が『倍賞さん、ここは湘南じゃないよ。タヒチだよ。それは似合わないよ』ってダメ出ししたら、翌日にセパレートの水着を着てこられた。でも、俺は『まだダメ」と言うたら、3日目になってビキニを着てきはった。感動しましたよ。倍賞さんは後に『ガジさんに言われて、私、ビキニになりました』と自身の本に書かれ、その本が俺に送られてきた。本にはシャレも込めて『先生』と書かれてあった(笑)』
【御前様=笠智衆さん】
「実は笠さんの左耳はよう聞こえんかったんです。それは山田監督にも言わず、御前様と源公だけの秘密やった。監督の演技指導も聞こえないから、笠さんは『ガジさん、監督の言ってることを復唱してくれませんか』と頼まれて通訳しとった。笠さんは越中ふんどしを履いていた。人生で初めてでしたよ、ふんどしを普通に下着として履いてる人を見たのは。不思議に感動しました」
「柴又ロケを終え、製作主任に頼まれて、タクシーに笠さんと同乗したんやけど、笠さんは『僕はタクシーというものが好きじゃない。電車で帰るので、東京駅で降ろしてください。その後はガジさんの家まで帰ってください』と途中下車。ご自宅のある鎌倉まで電車で帰られた。実直な人でした」
「第45作『寅次郎の青春』(92年12月公開)で、源公が縁側で御前様の頭を剃るシーンがあった。刃のないカミソリやのに、スーッとなぞると、髪の毛がいっぱい付いてくるんですよ。体、弱ってはったんやなと思う。その場面が笠さんの役者人生ラストシーン。年が明けて3月に亡くなられた」
「朝の大船撮影所で笠さんを30分ほど待たせて、監督に怒られた時、笠さんは『いいんだよ。僕は年だから朝が早いんだ』とフォローしてくれた。笠さんに『ガジさんは幸せだね』と言われたこともあった。『何でですか』と尋ねると、『山田さんに愛されて』と。笠さんの言葉はずっと覚えてる」
配信や映像ソフトで世代を超えて見続けられている同シリーズ。その舞台裏ではこうした人間模様もあった。