母性を被る女性たちの映画 母と娘の複雑な距離感描く「わたしのお母さん」「母性」

伊藤 さとり 伊藤 さとり
「わたしのお母さん」のワンシーン=(C)2022「わたしのお母さん」製作委員会
「わたしのお母さん」のワンシーン=(C)2022「わたしのお母さん」製作委員会

 「この映画って人によって見方が違うのよね」

 そう石田えりさんは先月行われた完成披露上映会で私に告げました。

 11月11日(金)に公開された『わたしのお母さん』は、杉田真一監督の完全オリジナル脚本。主人公の長女に井上真央、次女に阿部純子、その弟に笠松将、そして母親に石田えりが扮するという家族構成で、ある事情で長女の家に母親が同居することになるところから物語はスタートします。実は長女は母親が苦手であり、母親はそれに全く気づく気配もなく、無自覚に長女を傷つけていくのです。

 舞台挨拶では「とにかく監督が何度も同じシーンを撮るし、その場でセリフを削っていくので大変だった」と語った井上真央さん。その理由を杉田監督に聞くと「セリフを削ることで、映画を観た人が自分の物語として思いを乗せやすいのではと考えた」とのこと。確かに主人公の表情を静かに見つめるカメラにより、畳んだ洗濯物をわざわざ母親が畳み直すことに対して彼女がどう思っているのか自分なりに感じ取ってしまうし、同じマンションに住む少女に少し距離のある接し方をする長女を見ていると、彼女は子供が欲しいのか、そうでないのかまで想像してしまうのです。

 しかも冒頭のショットでは石田えり演じる母親が鏡に向かって真っ赤なルージュを引く姿が映り、この描写だけで母親が「女性」として見られたいのではと考察できます。そう考えるとこの映画は、様々な描写が声にならない彼女の心情を読み取らせる伏線として見事に役割を果たしていました。そして女性なら誰もが「母性」を持っているとは限らないと伝えているようでした。

 実のところ今月は他にも、湊かなえ原作、戸田恵梨香、永野芽郁共演による廣木隆一監督の『母性』も11月23日(水・祝)に公開されます。期せずして『わたしのお母さん』と同じく、母と娘の複雑な関係を綴ったもので、今作は母娘の異なる証言をミステリアスなタッチで描いた「多弁」な作品であり、言葉で観客を惑わす仕掛けと時間を入れ替えた編集で、湊かなえらしさが引き立っていました。

 確かに女性は多弁でもあり秘密めいた存在。そして分かり合えそうで分かり合えないのも母と娘の関係。ただどちらの作品でも言えるのは、子供を産んだからとてそう簡単に「母性」は芽生えるものではないということでした。最終的に「母親らしく」なるには妊娠期間の十ヶ月では到底足りず、子供と向き合いながら「母親」の仮面を徐々に上手に被れるようになるのだから、その変装を客観的な視点で捉えれば間違いなくミステリーなのかもしれません。

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース