『鎌倉殿』どう描く北条義時の最期 過去にない“ラスト”を期待 歴史学者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(KIMASA/stock.adobe.com)
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 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」主人公・北条義時(小栗旬)がついに第2代執権の座につきました(第38回「時を継ぐ者」)。初代将軍・源頼朝の急死までが序章。そこからは、第2章がスタートしていきます。

 頼朝の嫡男・源頼家がその後継となるも、横暴な振る舞いにより、鎌倉を追放され、北条氏により惨殺。有力御家人同士の争い(梶原景時の変・比企能員の変・畠山重忠の乱)も勃発し、その過程で北条氏(時政・義時)が力を付けていきました。ついには、権力闘争により、仲が良かった北条親子にも亀裂が入り、初代執権・時政は伊豆に追放となります。そして権力の座についたのが、時政の子・北条義時です。

 第39回から最終章が始まると言って良いでしょう。物語は終盤(全48回予定)を迎えたといえますが、まだまだ見所は満載。まず、注目されるのが、人気キャラ・和田義盛と義時がどのように対峙していくかです。和気あいあいとしていた2人がどのようにして和田合戦(1213年)に突入していき、激戦を繰り広げるのかも1つの注目ポイントです。

 温厚で気品ある3代将軍・源実朝。彼が悲劇的最期を遂げることは有名ですが、その死の背後には「黒幕」がいるとされます。黒幕は誰なのか?北条氏なのか、三浦氏なのか、それとも黒幕説は採らないのか。実朝暗殺(1219年)の描き方にも注目です。

 「鎌倉殿の13人」には「ラスボス」がいるとされます。それが後鳥羽上皇です。第38回では、上皇が、平賀朝雅を討った義時に怒りを滲ます場面がありましたが、それは、上皇が義時追討のため挙兵した承久の乱(1221年)への伏線でしょう。大河ドラマと言えば、迫力ある合戦シーンが特にかつては定評でしたが、ドラマの締めの合戦というべき承久の乱を迫力あるものにして欲しいというのが、少年時代から大河ドラマを見続けてきた者のささやかな願いです。

 ドラマの最後がどう締め括られるのかも、楽しみの1つです。大河ドラマの最終回というと、これまでに死んでいった者たちの幽霊が登場したり、回想シーンが挟まれたりというパターンもありましたが、「鎌倉殿」はおそらくそのような最終回にしないのではと推測します。義時の死因については諸説あり、病死説・毒殺説もあるからです。面白いといっては義時に失礼ですが、そのような死にまつわる興味深い話があるのに、それを有効に活用しない手はないでしょう。そのようなことで「鎌倉殿」は、最終回まで目が離せません。

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