アントニオ小猪木「モノマネで猪木さんの魂を後世に伝えたい」11月には演劇の舞台で猪木さん役に挑戦

北村 泰介 北村 泰介
「猪木イズムを芸人として若い世代にも伝えたい」と宣言したアントニオ小猪木=都内
「猪木イズムを芸人として若い世代にも伝えたい」と宣言したアントニオ小猪木=都内

 〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さん(享年79)の死去を受け、お笑い芸人によるプロレス団体「西口プロレス」のアントニオ小猪木(51)がよろずニュースの取材に対し、恩師である猪木さんの魂を自身の芸によって後世に伝えていく決意を明かした。

 そもそも、猪木さんのモノマネを始めて「小猪木」になったのは2001年。30歳の節目を迎える年だった。

 猪木さんのモノマネ芸人として、春一番さん(2014年死去、享年47)、アントキの猪木(49)と共に知られる小猪木の真骨頂は「形態模写」にある。タイガー・ジェット・シンの腕をへし折り、ドリー・ファンク・ジュニアのダブルアーム・スープレックスをリバースで切り返し、ラッシャー木村戦でセコンドのアニマル浜口に足を引っ張られてリングアウト負けする…。そんな猪木さんの「形態」を158センチの小柄な体を駆使して再現してきた。

 「10代から29歳まではタレントとして何でもできると自分の才能を信じていたが、不器用過ぎた。西口プロレスで『小猪木』になり、リングの中でのパフォーマンスとして猪木さんのモノマネを始めた僕にとって、残された才能が『猪木芸』だった。実生活でも極限状態に陥った時、『猪木さんなら、この逆境をどう乗り越えただろうか』と考えていた」

 それから21年間、猪木さんを追い続けてきた。

 「芸人の小猪木として最初の出会いは06年1月、東京・浅草に期間限定でできた『闘魂神社』です。猪木さんの目の前でモノマネのネタを披露した後に、『初めまして!猪木さんのモノマネをさせてもらっているアントニオ小猪木と申します。猪木さんにマイクお返しします!』と言うと、『小猪木よ、せっかくだから俺のモノマネやってくれよ!』と返された。僕の存在を知ってくれたうれしさと同時に、『さっき、目の前でパフォーマンスしたのに猪木さんは見ていなかったのか!』と、その天然ぶりを実感した。一ファンとして闘魂ビンタをいただいたこともあったが、その時、小猪木としていただいた一発は思い出の一発です」

 その後、猪木さんのリング以外の活動でもスタッフとして奔走した。

 「年末に新宿中央公園での炊き出しや選挙(2013年の参院選)のお手伝いもした。選挙で僕は関西地区を担当したのですが、最終日に『猪木さん、俺、頑張りましたよ』と言うと『どうも、ありがとう』と言葉をかけてくれたことが忘れられない」

 一方、猪木さんの現役時代を知らない世代が増えていることも意識している。

 「モノマネ芸人は(対象の)本人が亡くなったら芸を封印することもあるが、僕は続けていきたい。高校生に『小猪木さんの動きを見て、本物の猪木さんを見たくなった』と言われた時には、モノマネをしていて良かったと思った。猪木さんは既に『世界の偉人』であり、いかにすごい人だったかを、その名言の数々と共に、猪木ファンのみならず、若い世代に伝えていくことが僕の使命。闘魂神社で最初に言われた『せっかくだから、モノマネやってくれよ』という言葉は、今思えば、先を読む力のある猪木さんのことだけに、『これからの小猪木』に対するメッセージだったのかもしれない」

 くしくも、11月3日から6日まで都内で上演される劇団羊風舎旗揚げ公演「都市伝説康芳夫~モハメド・アリに魅せられた国際暗黒プロデューサー」(新宿シアターブラッツ)に、小猪木は猪木さん役で出演することが決まっている。76年に猪木さんとモハメド・アリの対戦をプロモートした伝説の興行師・康芳夫氏(85)の半生を描いた舞台だ。小猪木は「このタイミングで…。運命的なものを感じます」と感慨に浸った。

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