「沖縄本土復帰50年記念作品」と銘打たれ、ドキュメンタリーと再現ドラマの2部構成となる映画「乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録〜」が8月2日から全国順次公開される。沖縄戦を題材とした映像作品としては、ひめゆり学徒を主人公とした「ひめゆりの塔」」が何度もリメークされてきたが、本作は「白梅学徒」に焦点を当てた作品となる。ドキュメンタリー部分を担当した太田隆文監督が、よろず~ニュースの取材に対して思いを語った。
1945年3月から始まった沖縄戦。沖縄県立第二高等女学校の4年生56人による白梅学徒も動員された。わずか18日間の看護教育で、洞窟の中に設営した病院壕(ごう)に配属。負傷兵があふれてベッドが足りず、多くの人が床や通路に寝かされる中、腕や足をノコギリで切り落とす手術では、ろうそくを持って軍医の手元を照らした。また、兵士の傷口にわいたウジをピンセットで取り、ズボンに溜まった何日分もの糞尿を処理。10代の少女たちは顔も洗えず、頭にはシラミがわいた。米軍の攻撃が苛烈を極めた6月4日、病院に解散命令が出たが、歩けない兵士たちは毒殺され、学徒たちは病院壕を出て移動中に米軍の艦砲射撃などで命を落とした。
本作の撮影時、生存する元学徒は6人。うち、中山きくさん、武村豊さんという2人の女性が当時の状況を証言し、病院壕跡にはカメラが入った。その内容を踏まえ、太田監督に話を聞いた。
-「ドキュメンタリー沖縄戦〜知られざる悲しみの記憶〜」(2019年)に続く、沖縄戦を題材にした監督作だが、前作との違いは。
「前作は1作目ということで総合的に沖縄戦を描いたが、今回は題材を1つに絞った。2時間の内、ドキュメンタリーは1時間半、再現ドラマが30分。その両面でより深く、リアルに沖縄戦を体験してもらえたらという狙いが前作と違うところです」
-90代の中山さんと武村さんは理路整然と証言していくが、最後にそれぞれの「家族」の話をする場面での感情の揺れが印象的だった。武村さんは「あの世で両親におわびしたい」と生き残った者の悲しみを吐露し、中山さんは沖縄から遠く離れた場所に住む子どもたちを念頭に「生き残った私から広がった命の大切さ」を伝える。
「最後に生きる意味を伝えていることが注目すべき点だと思います。大切なことを2人の話から感じた。貴重な機会でした」
-解散命令後、動けない兵士たちは「処置」、つまり、殺されたという証言に戦争の非情さを感じた。
「女子学徒たちを先に出してから、軍人、あるいは婦長が(青酸カリを)配ったという証言が戦後の聞き取り調査などで残っています。学徒の中には忘れ物を取りに帰って、その光景を見たという証言もある。なぜ『処置』する必要があったのか。それは米軍が上陸した時に、捕虜となって尋問され、(日本軍の)情報を聞き出されてしまうことを危惧し、しゃべらせないという目的があったためだと考えられています」
-白梅学徒は戦火による死者だけでなく、自決した人も少なくない。
「軍は民間の住民に対しても『米軍に捕まると女性は暴行されて殺され、男性は戦車にひかれて殺される。米国人は鬼畜だから捕まる前に自決しなさい』と教えた。それも、負傷兵と同様、捕まって米軍にあれこれしゃべられると困るからという目的があったからでしょう。『生きて虜囚の辱めを受けず』と。要は、捕虜になるより死んでくれということです。それは良い悪いではなく、戦争における軍の方針だったのです」
-今も、ロシアのウクライナ侵攻で民間人が犠牲になっている。そのタイミングでの公開に思うことは。
「沖縄戦と重なる部分がある。(ウクライナの)ゼレンスキー大統領は『最後まで戦う』と言ったが、沖縄戦でも第32軍の牛島満司令官が自決時に『最後まで敢闘せよ』と同じ言葉を残した。そのため、6月23日に(沖縄での組織的戦闘は)終結し、日本は8月15日で終戦になったにもかかわらず、沖縄では9月までゲリラ戦が続き、犠牲にならなくてもいい人が犠牲になった。同じことがウクライナでも繰り返されるかもしれない。そのことを映画で伝えることで現実を見極める1つのヒントになればと思います」
-今後の構想は。
「次なる課題が見えてきた。それは『沖縄の戦後』です。戦争が終わっても、なぜ、いまだに基地があるのか。沖縄の戦後を見つめることで、今の日本、未来の日本が見えてくるヒントが見つかると思っています」
本作は2日から7日まで東京都写真美術館ホールで上映。横浜、名古屋、大阪、京都、沖縄、長野などでも順次公開予定だ。