性的少数者とされる「LGBTQ+」当事者の「声」を届ける「〝生きる、働く〟を知るライフマガジン『BE』」(6月28日創刊)の表紙に「かわいすぎるジュノンボーイ」として注目され、ジェンダーレスモデル、タレントとして活躍する井手上漠(いでがみ・ばく)が起用された。SNSで自身について「性別はない」と発信してきた井手上が、違和感を克服した過去やジェンダー観について語った。
「BE」は求人検索エンジン「インディード」の日本法人である「インディード ジャパン」が発行するフリーマガジン。LGBTQ+の人たちが仕事探しや職場で感じたことのある思いや意見、違和感などの声を元に制作されている。
創刊号の表紙を飾る井手上は2003 年1月生まれの19歳で、島根県隠岐郡海士町出身。15 歳でジュノン・スーパーボーイ・コンテスト〝DDセルフプロデュース賞〟を受賞して以降、多くのメディアに登場し、サカナクションの MV「モス」出演など多方面で活躍。現在はモデル業を中心に、初のフォトエッセイ「normal?」が話題となり、ジェンダーレス・ファッションブランド「BAAKU」をプロデュースしている。
性別に違和感を自覚したのは「小学5年生の頃」という。井手上は「それまで、髪が長くていつも女の子のグループで遊んでいた子どもでした。小学高学年の時にプールの授業で初めて男の子のくくりに入れられて、初めて周りの男の子たちから否定的な言葉をかけられました。その時に『あ、自分って変わっているんだ。他の子とは違うんだ』という違和感を感じました」と明かす。
その違和感に悩んだ。井手上は「私の場合はどっちの性別か分からなかったので、更衣室やトイレなどでどっちを使えばいいのか分からず、自分の中でストレスを感じていました。『周りから気持ち悪いって言われないようにしよう』と思い、それまで長かった髪をバッサリ切り、素朴な洋服を着て、外見を偽ってました。それがとても苦しかったです」と振り返る。
「死も覚悟した」という苦悩を脱したターニングポイントは母親の言葉だった。理解のある接し方が、自分なりの生きる道へと後押ししてくれた。
「中学2年生の時に、部活から帰ると母親に恋愛対象を聞かれました。当時は私も性別・性的指向に悩んでいたので、図書館で LGBTQ+の本を読んだりしていたのですが、母も考えてくれていたようです。その時に母に自身のことについて話をしたのですが、打ち明けるのは、言葉では表すことができないくらい難しかったです。もし受け入れてくれなかったら、死も覚悟していました。しかし、母は私の話を聞きながらただただうなずいて聞いていて、最後に『そっか、漠は漠のままでいいよ』と一言だけで、次の日からは何事もなかったかのようにまた1日がスタートしました。これだけ聞くと、サラッとしているように感じるかもしれませんが、この反応がすごくうれしかったです。私の人生の中で一番の転機でした」
SNSでは「性別ないです」と発信してきた。自身のジェンダー、セクシュアリティに対する考えについて、井手上は「私は男性でもあるし、女性でもある。もしくは男性でもないし、女性でもない。今って、男性・女性という2つに分けること自体が古い気がしていて。私が『性別ないです』って言っているのも、性別の枠に縛られたくない、当てはめたくない、と思っているからです。(性別に悩んでいた)昔の私は『LGBTQ+のどれなんだろう?』って考えたことはたくさんありました。でも性別は自分の中で決めればいいのであって、誰かに決められるものではないと思っています」と信念を通す。
自身が表紙となった「BE」の創刊を前に、井手上は「私が声を上げ続ける理由は、『声を上げられる人が増える世の中にしたい』からです。ジェンダーのことに関して、これからも自分の『声』で発信し続けていきたいと思っています。過去の自分に比べて、今の私は性格も明るくなったし、すごく楽しいし、幸せなんです。みんなに『私の生き方を見て!』という感じです(笑)。 井手上漠として楽しく生きてるよ。そういう姿をみなさんに見せることで、LGBTQ+の当事者にも、そうでない方にも、良いメッセージが届けばいいなと思っています」と呼びかけた。
10代のうちにつかんだ生き方の「芯」は強い。今後も自身の「声」で未来を切り拓いていく。