ビートたけしに名付けられたバブリー系エンタメバンド「ジュリアナの祟(たた)り」が27日、東京・浅草公会堂でワンマンライブを開催する。たけしが芸人として修業した原点の地で、目標としてきた「殿への恩返し」を果たす。同バンドのリーダーでドラマーの江夏亜祐がよろず~ニュースの取材に対し、これまでの歩みや今後の目標などを語った。
江夏が2007年に母体となるバンド「亜tra鵺(アヤトラ)」を結成。10年にボーカルの蕪木蓮が加入して「亜tra鵺Wolf-Rayet Stars(アヤトラ・ウルフライエスターズ)」に改名し、11年にベースの矢島銀太郎、14年にパフォーマーの佐川ネル秋吉と翌桧ダンク冬雪が加わって現在の5人編成となり、 15年3月にBSフジの番組「たけしの等々力ベース」に出演した際、たけしに命名された。
江夏は「当時のバンド名が非常に長くて覚えづらいということで、たけしさんがパッと見た我々への一言目に『祟りだな』と言った後で、『ジュリアナの祟り』と名前を付けてくださった。その後も、たけしさんは僕らのワンマンライブにお花を贈ってくださったり、お手紙をいただいたり応援していただいて、(19年1月の)メジャーデビューのタイミングではコメントもいただいた。たけしさんが命名したということに付随して興味もってくださる方も増え、我々としても非常にありがたく、いつか恩をお返ししたいと思っていました」と振り返る。
この6月に目標が具現化した。19日に演芸場の浅草・東洋館で番外編の公演を行い、漫才コンビ「おぼん・こぼん」のおぼんと共演。27日には地元最大規模のホールである浅草公会堂で、サポートメンバー2人を加えた7人編成でワンマンライブに挑む。
江夏は「浅草でのワンマンライブは今回初めてです。フライヤーも北野武監督の『アウトレイジ』のパロディーでやらせていただいていて、『向かえ!殿の故郷(ふるさと)」とした。東洋館というと、たけしさんがフランス座時代に修業していた場所で、ぜひ、我々もそのステージに立ちたかったですし、おぼんさんも『たけしさんに命名されたのなら、東洋館でやるといいんじゃない?』と声をかけてくださった。浅草公会堂は立ち見禁止だったりとか、いろんな制限もあるので、その中でいろんな楽しませ方ができたらなと思います。世代的にも2世代、3世代で応援くださる方たちもいて、たけしさんにちなんだ演出も考えています』と意欲を示した。
実は、令和に改元された19年5月の時点でバンド名を「エナツの祟り」と変更していたが、昨年6月にバンド名を戻した。たけしが発想し、バブルの象徴とされる「ジュリアナ」の名に原点回帰。ちなみに、元ネタとなる東京・芝浦のディスコ「ジュリアナ東京」は91年5月に開店し、94年8月に閉店。バブル景気と称された期間は86年~91年で、厳密に言えば、ジュリアナ東京はバブル崩壊と重なって誕生し、その残り香を追体験するブームだった。お立ち台で「ワンレン・ボディコン」の女性客がジュリ扇(同店のロゴが入った羽根突き扇子)を振りながら踊る光景は時代を象徴する一コマとして報じられた。
86年生まれの江夏は「実家がプチバブリーで、不動産業をやっていまして、僕自身もバブルの恩恵を受けた世代。バブル・ベイビーなんです。その恩恵を受けた時代に戻したいということで、バブルっぽい音楽をやってきました」と明かす。6月17日にプレオープンした東京・秋葉原の箱代無料ライブ会場「LiveCafe&Bar テイア」のステージでは、ピンクのジュリ扇を振りながら、たけしの漫才ブーム時代の鉄板ネタ「コマネチ」ポーズを随所に織り込みながら躍動した。
夢は大きい。全曲の作詞作曲、プロデュースを担当する江夏は「常日頃から『令和のサザンオールスターズになりたい』と言っていまして、日産スタジアムでワンマンライブをやるのが目標。そこに向けて全力で走って行きたい」と誓った。
まずは、浅草。2年半に渡るコロナ禍で沈滞化した世の中に向け、約30年前に社会現象となった「ジュリアナ」の熱狂を恩師ゆかりの地で解き放つ。