鎌倉幕府の成立は1192年(いいクニ)?1185年(いいハコ)?諸説ある事情 歴史学者が説明

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
イラストはイメージです(す~ロン/stock.adobe.com)
イラストはイメージです(す~ロン/stock.adobe.com)

 「鎌倉幕府ができたのはいつ?」ーこの質問に、私を含め昭和生まれの人ならば「1192年」と答えたり、そのように学校で習ったと記憶を掘り起こす人が多いでしょう。ちなみに、1192年に幕府が成立した根拠としては「源頼朝が征夷大将軍に任命されたから」というものが定番でした。 ところが21世紀に入ると、日本史教科書も、鎌倉幕府成立年を1192年と記さないものが増えてきました。

 今、私の手元にある教科書『高校日本史B』(山川出版社、2014年)にも「武家政権としての鎌倉幕府が確立した」とは書いていますが、1192年に成立したとも、いつ出来たとも、具体的な年は書いてはいません。これはなぜか?

 私が推測するに、幕府成立年に関する議論が深まり、ある意味、「意見乱立」したこともあるかと思いますが、幕府の成立は段階を踏んで整えられていったものであり、「ここだ!」と特定の時点を幕府成立年にすることへの「違和感」も関係しているのではないかと考えられます。

  ちなみに、1192年以外の説にはどのようなものがあるかというと、源頼朝が挙兵し、鎌倉に入り、侍所を設けた「1180年説」。守護・地頭が置かれた「1185年説」。テレビでお馴染みの東大教授・本郷和人先生などは前者「1180年説」を書物などで説いています。

  一方、「1192年説」に変わり、教科書でよく取り上げられているのが「1185年説」。諸国に守護を、荘園や公領には地頭を任命する権利を獲得したことによって、幕府成立(源頼朝による支配体制が確立)とする説です。

  私はかつて「1192年説」を支持していました。1192年に頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命されなければ、頼朝の政権はいつまで経っても一地方政権に過ぎないと考えていたからです。 しかし、史料の発見などによって、頼朝の征夷大将軍就任は「偶然」であり、幕府首長の官職として確立していたわけではないことが明らかになってきました。

 頼朝は1194年に征夷大将軍を辞任していますし、頼朝の後継者・源頼家も、征夷大将軍に任命されたのは、頼朝の後を継いだ3年後(1202年)のことでした。この頃は、征夷大将軍が幕府首長として定着していなかったことが分かります。よって「1192年=幕府成立」というのは「不可」だと感じたのです。

 「1192年説」を放棄した私は、特定の時点を幕府成立年にする ことへの違和感が正直芽生えていました。幕府は段階的に出来ていったものであり、特定の時点を成立年とすることに意味はないのではないかと思ったのです。私の他にもそのように説いている歴史家もおります。 しかしその一方で「それではいけない。確定させる必要はある」と考える研究者もいて、鎌倉幕府成立年にまつわる議論はこれからも続いていくように思います。が、邪馬台国所在地論争のように、意見乱立し、なかなか決着することはないと思うのは、私だけでしょうか。

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