宝田明さん(享年87)の死去を受けて「初代ゴジラ映画の主演俳優」という部分がクローズアップされた。実際には幅広いジャンルの作品に出演してきたが、それでも「ゴジラ」が代名詞となった背景には同作に込めた強い思いがあった。生前、記者の取材に対して語った宝田さんの言葉をお届けする。
宝田さんは1954年に東宝の第6期ニューフェイスとしてデビュー。同年公開「ゴジラ」第1作の主役に抜てきされるが、その後、俳優としての振り幅は広かった。
1960年代の東宝映画では、「007」を意識した「100発100中」(福田純監督)で軽妙洒脱なキャラを発揮し、「香港の夜」(千葉泰樹監督)など香港3部作では大陸育ちの国際感覚でアジアにも浸透。いわゆる文芸作でも、加山雄三と兄弟を演じた「二人の息子」(千葉泰樹監督)、司葉子の相手役を務めた「その場所に女ありて」(鈴木英夫監督)などの評価が高い。後年は舞台「マイ・フェア・レディ」などミュージカル、ミス・ユニバース日本代表選出大会の司会…と「多面体」だった。それでも「ゴジラ」にこだわり続けた理由は何か。
2020年の夏、宝田さんを取材した。「私は主役ではなく、ゴジラが主役です」と笑顔で念を押した上で、戦争体験に根ざした「反戦」の思いがゴジラと表裏一体であることを明かした。
「東宝の田中友幸プロデューサーに『ゴジラって何ですか』と聞いたら『日本は広島と長崎に原爆を落とされ、その9年後には第五福竜丸が米国の水爆実験で被ばくして乗組員の方が尊い命を亡くされた。核廃絶を叫ぶことができる国は世界でも日本しかないのだから、この映画を作るんだ』と。単なる怪獣映画ではないのです。日本は原爆で数十万人が亡くなった。一瞬で14-15万の人間をこの世から消し去るという、神の恐れを知らぬ、本当に残酷な決定を米国は下した。ゴジラは南海の底で静かに眠っていたところ、洋上の水爆実験で目を覚まして地上に現れ、最後は骨にされて海中の藻くずとなる。被ばく者として悲しい運命を背負っているという意味からすれば、神から送られた『聖獣』ではないか。試写を観終わった私は泣きました。本多猪四郎監督に『なんで泣いているんだ』と聞かれ、『人間のエゴで起こされ、海の藻屑とされるゴジラがかわいそうです』と答えました」
第1作は空前の大ヒット。宝田さんは「当時、日本の人口8800万人のうちの11%強、961万人が見てくださった。当時の日本人は核爆弾の恐怖というものを感じ、核廃絶を願っていたのだということがその数字にも表れていると思います」と振り返った。
記者が「ゴジラとは宝田さんにとって何ですか」と問うと、「私のクラスメート。同級生です」と即答。「これほど共感を持たれた動物はいない。米国の映画殿堂入りした日本の俳優は三船敏郎に続いてゴジラですから(笑)。彼には『世界で紛争が起きている場所に行って、平和を求める一助となってくれないか』と伝えたい」。ロシアのウクライナ侵攻のニュースを耳にすると、この願いを思い出す。
宝田さんは自身の出演作を上映する映画館に観客として足しげく通っていた。気さくにサインや写真撮影にも応じていたことが映画ファンのSNS投稿で確認できる。記者も昨年7月、都内で上映された67年公開の東宝特撮映画「キングコングの逆襲」(本多猪四郎監督)を見にいくと、主演の宝田さんが客席におり、前年の取材時の思い出を話した。
9月にはこの映画館ロビーの壁に自身の名前と共に「ゴジラ」のサインを〝代筆〟していた。その3文字には、口から吐く炎と流れる血を思わせる赤色が鮮明に記されていた。炎と血を象徴する「赤」には11歳時の1945年8月にソ連軍兵士によってダムダム弾を脇腹に撃ち込まれた実体験に起因する「戦争への怒り」が潜在的に込められていると感じた。
宝田さんは出演作「世界大戦争」(61年公開、松林宗恵監督)にも触れた。「第3次世界大戦が起き、核兵器による世界消滅の危機において、僕が星由里子さん演じる婚約者と戦争について話をするんですけど、その時に伝えたい文言を足していただいた。『これからの若い人たちが戦争で命を落とすことがあってはならない』と」。同作では人類が消滅する間際、宝田さんが婚約者にモールス信号で送る「コウフクダツタネ」という言葉が染みる。それが現実になってはならないというメッセージでもある。
「ゴジラが70周年の古希を迎える2024年に私は90歳の卒寿。その時には、同級生のゴジラと組んで何かをやりたい。一緒に平和の大切さを伝えていきたい」。取材の最後に残された言葉だ。あと2年及ばず、宝田さんは力尽きたが、ゴジラはその思いを背負って生き続ける。