「成りそこね」人生ナメたら苦かった!「なぜか埼玉」から40年、さいたまんぞうの夢は甲子園

北村 泰介 北村 泰介
40周年記念ライブ「ザ・リさいたま」で「なぜか埼玉」を直立不動で熱唱する歌手・さいたまんぞう=東京・浅草「音のヨーロー堂」
40周年記念ライブ「ザ・リさいたま」で「なぜか埼玉」を直立不動で熱唱する歌手・さいたまんぞう=東京・浅草「音のヨーロー堂」

 タモリの「オールナイトニッポン」(以下ANN)から「なぜか埼玉」というヒット曲が生まれて40年。同曲を歌った歌手で芸人・さいたまんぞうが東京・浅草の「音のヨーロー堂」で40周年記念ライブを11月下旬に開催し、今月9日に73歳の誕生日を迎えた。「芸能界のツチノコ」と称されながら、折に触れて自身の「生存証明」を続けてきた「さいたまんぞう」の生き方とは…。本人や盟友に話を聞いた。

 ニッポン放送の深夜ラジオ番組「ANN」で、タモリは1976年からパーソナリティーを務め、木曜午前1時から2時間枠(リスナー感覚は水曜深夜)の放送が83年まで続いた。81年2月26日放送の「思想のない音楽会」コーナーで、謎の男性歌手がこぶしをつけずに淡々と歌うムード歌謡調の曲が流れた。高校生が「父親が飲み屋から持って帰ってきた」という自主制作盤を番組に送ったことで火が付き、4月にフォーライフ・レコードから同曲でメジャーデビュー。売り上げ12万枚といわれるヒットとなった。

 まんぞうは「当時、桑田佳祐さんがその背景を知りたがったと伝え聞きましたが、本当に何の仕掛けもなく、タモリさんが番組で毎週流してくださったおかげ。お金は一切使っていない」と証言。ちなみに、本人は岡山県出身だ。

 その後も「埼玉オリンピック音頭」(81年)や「東京カントリーナイト」(87年)などシングル曲を出し続けるがヒットには至らず。88年秋にリリースした「津軽海峡冬元気」に至っては昭和天皇の病状悪化を背景に「元気」という言葉がNGとなって放送自粛に。「CMで井上陽水さんの『お元気ですか?』というセリフが流せなくなった時です。発売2か月、『元気』でダメになりました」と振り返る。

 一方、タレントとしてプチ・ブレークもあった。「東京カントリーナイト」が使われた縁で、TBSの情報番組「そこが知りたい」内のコーナー「通勤線途中下車の旅」で首からラジカセをぶら下げた「歌う駅員さん」として出演。「テレビに定着していた時期が87年からバブルが終わる91年まで。4年間稼いだ金を全部パチンコと風俗で使い果たした」。バブル期の脚光は泡と消えた。

 2年前には再浮上の気配もあった。2019年公開の映画「翔んで埼玉」の挿入歌として「なぜか埼玉」が3度も流れ、映画の大ヒットにあやかれるかと一部で期待されたものの、世の中は甘くない。「この映画のために作られた曲だと思っている人が圧倒的に多かったそうです」。世代的に元ネタを知らない観客が大半だった。

 生活に困って、60代で交通誘導員のバイトを3年間やったこともある。「成りあがり」ならぬ「成りそこね」と自他共に認める。その中で、娯楽映画研究家・佐藤利明氏が仕掛け人となって今回のライブが実現。また、今年から「生存確認SHOW!」と題して始めたクラブハウスも、本人は「ちんぷんかんぷんですが、回りに教えてもらいながら聞き役になってます」と一歩引く。存在を消した主役を、年下のサポーターたちが周囲で盛り上げる「まんぞうドーナツ化現象」が近年は続く。

 たけし軍団のグレート義太夫らと共に、ゲスト出演したシンガー・ソングライターの天元ふみは「なぜか埼玉」の5年後に生まれた世代。まんぞうにささげた曲「人生ナメたら苦かった」を本人とデュエットし、よろず~ニュースに自身の「まんぞう像」を語った。

 「私は86年生まれで、まんぞうさんが売れた時代を知らないのですが、『なぜか埼玉』を聴いた時は『絶妙の空虚感』がすごいと思い、実際に話したら、気さくで気遣いの紳士でした。『僕、ボーッとしていて、何か歌えと言われて歌ったのが売れちゃったんで、人生なめちゃったんだよ』と言われた時に『すてき!』と思い、その時は60代で冬の寒い日に車の誘導員のバイトをされていて、『60まで人生なめて、逃げ切れるかなと思ってたけど、人生なめたら苦かったね』という言葉が印象に残って歌を書いた。好きなことだけやって、いい時代をすり抜けて生きてきたけど、ご自身の胸の中には『何かになれなかった』という悲哀があるから、薄っぺらではない」

 大盛況のうちにライブを終えた佐藤氏は「来年は41周年コンサートを球春より早く開催したい」と宣言。天元は「次回は『成りそこね』という歌を作ろうと思います」と予告した。

 自己評価の厳しいまんぞうだが、実はブレない「軸」がある。79年から草野球の審判として身に付けた球審の動きとジャズを融合させた芸だ。「これだけは自信作です。世界で1人だと思います」。現在も奇数月に浅草・東洋館で披露する芸を今回のライブでも見事に演じきった。

 「3年前に心房細動を発症し、また、同い年の審判が熱中症で2人続けて亡くなったこともあって、試合での審判は封印したが、芸として続けています。夢は甲子園球場で、イベントでもいいから球審をやること。それをやって死にたい。高校球児として甲子園に出るのが夢でしたから」

 さいたまんぞう、73歳。何度も「成りそこね」ながら、最後の夢を追う。

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