歌手で俳優の中条きよしが24日に東京・目黒「雅叙園」で「クリスマスディナーショー」を開催する。また、自身のアイデアが採用されたゴルフのアイアン「CASSAI(カッサイ)8」を年明けに発売予定と、75歳の現在も精力的に活動している。近年は「ご意見番」としてテレビ番組に出演し、3年前には、歯に衣(きぬ)着せぬ発言がネットで「炎上」したこともあった。そんな中条が、よろずニュースの取材に対して、発言当時の思いや今もブレない信条、さらに自身を育てた昭和の時代を振り返りながら、今後に向けた思いを語った。
2018年2月、TOKIOの山口達也メンバー(当時)が女子高生への強制わいせつの疑いで警視庁に書類送検されたことについて、同年4月27日放送のフジテレビ系「バイキング」で出演者がそれぞれの意見を語った際、中条は山口氏に非があることを前提とした上で、部屋に行った女性2人についても「行かなきゃいいじゃない」などと持論を展開。この発言に対し、ツイッターなどのSNSでは「正論」とする声がある一方、反論も多数を占めた。
3年以上が経過した今、中条は当時を振り返る。
「僕は『未成年の女の子が酒を飲んだり、男性の部屋に行ったことも悪くならないのか』と感じて、女の子にも落ち度があると思ったままを発言した。もちろん、未成年の女性に対して、大人の男として彼はバカなことをやったと思う。山口君とは面識がなく、応援するわけではないのだけど、彼だけが一方的にバッシングされていることにはおかしいと思った。そうしたら、スタジオの共演者も『エッ』と立ち上がるし、ネットではたたかれました。『その通り』と理解してくれる人もいましたけど、それよりも、あの件で一番かわいそうなのはTOKIOの仲間ですよ。松岡(昌宏)君とは飯を食ったり、飲んだりする間柄だけど、あの時は気の毒だと思った」
そして、今も「令和のご意見番」として、「間違ったことは間違っているという思いで発言している」と不変のスタンスを示す。
コロナ禍では「夜の街」や「酒」への風当たりが強くなった。大人の〝ヤンチャ〟な遊びや色恋が大目に見られた時代は遠くなった。
「若い時はメチャクチャ遊びましたが、何もしなくてもモテるのが本当の『モテる』だと思っていたから、自分ではモテているとは思っていなかった。ただ、若いのに(遊びに)金をたくさん使って、顔も、まあ普通だから、モテるのは当たり前だろうと。それでムチャクチャしてきました」
歌手になる前は夜の世界で10代にして一本立ちしていた。
「夜の店を始めたのは19歳の時。新宿でバーをやったのが最初です。人に使われるのが嫌で、最初から経営者ですよ。20代半ばで赤坂に店を出した。元々は役者志望で、歌手になるつもりはなかったんだけど、店に来られる作曲家の米山正夫先生をはじめ、業界の方たちとの縁でレッスンしてオーディション受けるようになった。でも売れなくて、また店に戻ったりして。『うそ』がヒットしたのは、28から29歳の時。150万から170万枚は売れたと言われてますけど、その時は事務所からの給料制で自分にお金は入らない。店をやっている時は飲み代が月に100万円だったのが、月給10万円で、いろいろ引かれて手取り7万円。歌手になって収入は減った(笑)」
念願だった役者としてのブレークは1981年から82年まで放送されたテレビ朝日系「新・必殺仕事人」。当たり役となる「三味線屋の勇次」でレギュラー出演した。当時30代半ば。京都で仕事に、遊びに、打ち込んだ。
「必殺シリーズで京都にいる時は、祇園のクラブに毎日行って、その後は芸妓さん、舞妓さんと遊び、お茶屋さんに泊まらせてくれる間柄になって、浴衣を出してくれて、飲んでマッサージしてもらって寝て帰る…。そういう日々の中で、『もういいかな』と思い出したのが40歳くらい、それからは遊ばなくなりました」
年の瀬に新年への思いを語る。
「コロナで大変だったが、これからは、どう生きていくかを考えていく時。3月で76歳になりますが、自分は年寄りだという意識がないから、新しいことをやっていきますよ。世の中、若いだけではダメ。古いものにカバーされながら新しいものが出てくる」
酒はほどほど。仕事前は飲まない。毎日のウオーキングとストレッチ、好きなゴルフで健康を維持。ボイス・トレーニングは月に2、3回続ける。「人前で歌えなくなったら辞める時」。まずは年末のディナーショーに全力投球する。