『るろうに剣心』のヒロイン・神谷薫のモデルが、あの坂本龍馬の元婚約者、元許嫁(いいなずけ)だった-という話を知っていますか。
『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心のモデルは、幕末に人斬りとして恐れられた河上彦斎、相楽左之助のモデルは新撰組の十番隊組長である原田左之助です。2人とも幕末の有名人ですが、ヒロイン・神谷薫のモデルとなった人物も負けず劣らず当時は名の知れた人物でした。
その人は千葉さな子(佐奈)といいます。伯父は北辰一刀流の流祖・千葉周作で、父はその弟の定吉です。定吉は当初、兄とともに『玄武館』の創設、運営に尽力した人物です。『玄武館』は、神道無念流の『斎藤道場』、鏡心明智流の『桃井道場』とともに江戸三大道場と評されましたが、定吉は後に江戸の桶町(東京都八重洲)に、分室道場『桶町千葉』『小千葉』を構えました。
その定吉の二女が、さな子です。さな子は司馬遼太郎の小説『龍馬がいく』にも登場しています。容姿にも優れたさな子は、幼少のころから北辰一刀流を学びました。10代のころには小太刀免許皆伝を許され「千葉の鬼小町」「小千葉小町」と呼ばれたといわれています。
この『桶町千葉』で剣術修行をしたのが、薩長同盟の立役者であるあの坂本龍馬です。この道場でさな子と龍馬は知り合い、さな子が25歳のころ婚約、定吉が結婚のため坂本家の紋付きを仕立てました。ところが、龍馬がその後、土佐に帰国。京都でお龍(りょう)こと楢崎龍と知り合い結婚したことで、さな子と龍馬の婚約はいつしか自然消滅してしまいました。ところが、さな子の方は龍馬に未練があり、京都・近江屋で暗殺された後も、この紋付きの片袖を形見として生涯持っていたと伝わっています。
さな子は明治維新後、学習院女子部の寄宿舎の監督をする舎監として働き、その後は今の東京・千住で家伝の灸を生業とする『千葉灸治院』を開き、59歳で亡くなりました。