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【中学受験】音楽会に図工展…受験生の学校行事への適切な取り組み方とは

受験

齋藤丈篤 齋藤丈篤
画像はイメージです(unitaro/stock.adobe.com)
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 こんにちは!アップ教育企画・進学館の齋藤と申します。秋が無い!とも称された電光石火の季節の移ろい。自宅のある高台、いえ、むしろ山間の風景も、赤や黄に一気に染まった感があります。少年少女は、体感温度による衣服の調整に無頓着な場合も多いでしょうから、着脱可能な上着を持たせるなどのちょっとしたケアをお願いできればと思います。

 さて、運動会シーズンも終わり、ここからは何が待っているか?あえて幼少期を思い出すと…やはり今と変わらず、音楽会や図工展など、芸術方面に振り切った行事が多かった気がします。

 大別すると体育会系に振り分けられるタイプでしたが、芸術行事もそれはそれで楽しみで、特に記憶に残っているのは小6時の音楽会。受験に備えたくさん勉強する秋深き頃、演奏する楽器の希望を調査する機会にて、なぜか「木琴」で挙手し、そのまま決定。40数名で奏でるハーモニーにおいて、わずか2台の木琴がいかに重要かを理解した頃には時すでに遅し。はじめて持つぼんぼり付きの木鉢(?)と、得体のしれない記号の並ぶ楽譜を前に、さぁ演奏しなさい、と言われた初回練習の絶望的な恐怖は、鮮明に記憶しております。なにしろできるわけがないのです。ドレミがわかっても音符は満足に読めないうえに、どの音板がドかレかなども認識していません。

 今もってなお、なぜいきなり演奏することになっていたのか不明ですが、なぜか初回からそれなりにまとまった音色を周囲は創出しており、焦りは最高潮。ただ、決してマリオネットとして右手が吊り上げられたわけではなく、逃げ場もありません(実際はそんなことなかったのでしょうが、そんな気分でした)。とりあえず、まずはできるふりをするしかない、ということで、隣の上田くんの動きを真似ながら、音板にぼんぼりが触れるか触れないかギリギリのところまで鉢を振り下ろすという、「エア木琴」を敢行しました。

 1回目の演奏練習を終えたあと、数名の友人が木琴の近くに群がりました。「ごめん!できへんかった!」と言おうとしたその前に、「上田くんと齋藤くんの木琴に、感動した~!」「そうそう、俺も!!」と口々に感想をおっしゃるのです。

 2台の木琴のうち、音を奏でた木琴は片方だけであることを告げられなかった私は、意を決し放課後の猛練習を敢行。音符の玉の下に「ミミミ、レレレ、シシシ、ミミミ」と片仮名を書き入れ、2列の音板を器用に叩き分けていた上田くんの動きを思い出しつつ、頭と身体に染み込ませました。結局、誰に教わったわけでもなくメキメキと上達(した、と自分では思っていましたが、真相は明らかではありません)。怖いもの知らずで挙手した木琴担当でしたが、演奏会当日を待ちわびる心境になることができ、準備期間も含めて良き思い出にすることができました。

 化石のような回想をもとにして恐縮ですが、日を追うごとに増す多忙さに対峙すると、学校行事への積極性は意識的でなくとも薄らいでしまいます。無理もありません、大きな夢を追いかけているのです。エネルギーのかけ具合はマイルドであってもよいでしょう。ただ、夢への架け橋を渡るさなかであるとともに、無自覚でも大人の階段をのぼっている道中でもあります。小学生としての学校行事は、過ごし方によって後の思い出、ともすれば、以後を歩むうえで必要な自信の獲得にもつながります。少なくとも、懸命に取り組みたいと決意した少年少女の歩みに対し、過度のブレーキをかける大人チームにはならないよう気をつけたいと思います。

 ただ、時代は適切に変化しているとも感じます。学校行事など完全無視でひたすらに受験勉強に打ちこませる、頑固一徹いっさいの遅刻欠席手抜きを許さず学校生活に従事させる。この両極端の風潮が減少していると思います。学校行事をシンプルに楽しみ味わいながら、必要な時は身体のコンディションと相談して休息日をつくるなど、ご家庭の状況、お子さまの状況にあわせた調整をおこない、大切な秋をお過ごしください。

 そんなこんなをPCにて書き連ねていたところ、5年生の少年が算数の質問に来ました。彼が1学期に「自然学校のお土産」ということでプレゼントしてくれたのは、木琴ならぬ木のアート。そこには見慣れた文字で「6年生も授業を担当してください」というメッセージが添えられていました。最難関校を目指しつつも、学校行事を大切にしてしっかり心も成長している、そんな確信を得ることができました。

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