大河ドラマ「豊臣兄弟!」第29回は「天下への道」。天正10年(1582年)6月2日、織田信長は京都本能寺において家臣の明智光秀に討たれます。
「信長死す」の急報を得た羽柴秀吉は敵対していた毛利氏との和睦を素早く成立させ、光秀を討つため備中高松から姫路方面に向かい進軍を開始。姫路城に帰還した日については諸説あり、同月6日という人もいれば8日という人もおります。
姫路城を発した日は9日であり、同日には明石に着陣。翌日には摂津国の兵庫(神戸市)、11日には尼崎に到着しました。そして12日、摂津国の武将(池田恒興・中川清秀・高山重友)らと合流することになります。
ちなみに、秀吉は6月5日に中川清秀に宛てて書状を書いており、その中で上様(信長)は死んではおらず、無事であることを伝達しています。それは嘘の情報なのですが、秀吉としては摂津国の武将の動揺を信長生存情報を流すことにより抑えて、自らに加勢させんとしたのでしょう。
一方、光秀も縁戚である細川藤孝(丹後宮津城主)や大和国郡山の筒井順慶を勧誘しますが、光秀は勧誘に失敗しています。これは光秀にとり痛手だったでしょう。また秀吉の早期の帰還に大いに動揺したと思われます。光秀は秀吉の帰還を知ると、山城国の淀城(京都市伏見区)の普請をしています。秀吉軍を迎え撃つためです。
そして秀吉方と光秀方の軍勢は山崎で激突(山崎合戦)することになりますが、合戦は兵数の多い秀吉方の勝利に終わります(6月13日)。秀吉の弟・秀長は天王山の山の手に布陣していたとされます。
勝龍寺城にいた光秀ですが、同城を脱け出し、居城の近江坂本城(滋賀県大津市)に向かおうとします。ところがその途上、山科・醍醐辺で落武者狩に遭い、悲劇的な最後を迎えることになります。
(主要参考文献一覧)
・黒田基樹「羽柴秀長の生涯」(平凡社、2025年)
・柴裕之「秀吉と秀長『豊臣兄弟』の天下一統」(NHK出版、2025年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)