中学受験の天王山は夏休みだとよく言われるが、むしろ危ういのはその後かもしれない。夏の疲労を引きずったまま、秋にある怒涛の学校行事と受験勉強が正面からぶつかる時期となるからだ。
2026年に中学受験を終えた筆者の娘も、その秋に体が限界を超えた。その際に起きたトラブルと、その後どのように対応していったのかを振り返っていく。
7月、学校では水泳の授業が毎日あり、放課後は大きなプールへ移動してさらに泳ぐ生活が2週間ほど続いた。トータル1000メートルを泳ぐ日もあり、娘は苦手なはずの水泳がすっかり得意になるほどだった。
それが終わっても今度は修学旅行、運動会と行事が続く。それと並行して塾では、夜10時半まで自習できる体制に切り替わっていた。そのため、帰宅するのは23時近くになることも珍しくなかった。
それでも娘は一度も弱音を吐かなかった。合格したい気持ちと、親へ負担をかけている申し訳なさを12歳なりに抱えながら、ただやるしかないと思っていたのだろう。
運動会の夜、娘がうずくまった
その日は運動会があり、終わったあとそのまま塾の授業へ送り届けた。帰宅した娘はソファでアニメを見ながら休んでいた。しばらくすると突然頭を抱えてうずくまり、泣きながら「頭が痛い」と叫び出した。
それは今まで見たことがない姿で、ただごとではないと感じそのまま救急病院へ連れて行くことに。診断は片頭痛で、極度の疲労とストレスが引き金となったようだ。
実は娘が片頭痛で苦しむのは、これが2度目だった。1度目の頭痛は、大騒ぎしながらもそのまま眠って翌朝には回復していた。今思えば、その時点で立ち止まるべきだったと悔やまれる。
講座を8割減らす決断も、塾の先生には強く反対された
受診後、塾の受講を大幅に減らすことを決めた。もともと「ただこなしているだけ」に見える状況が気になっており、負担を少なくしようと話していた矢先の出来事だったが、頭痛が決断を迫ったかたちだ。
受講を約8割減らすという変更を塾に申し出ると、先生には強く反対されたが、それでも体調を優先に譲らなかった。決断にあたり怖かったのは、他の子に大きく差をつけられてしまうことだ。もし不合格になったら、この判断を後悔するかもしれないとも思ったが、それならばそれでいいと思い直した。
ただ、あの頃の娘の状態を思えば、本人に反対されようとももう1カ月早く減らすべきだったとさえ感じている。
受講を減らしてから、娘の様子は変わった。睡眠時間が確保できるようになり、それまでこなせていなかった課題にじっくり向き合えるようになった。過去問にも時間をかけて取り組めるようになり、片頭痛もぴたりと止まったのだった。
一緒に夕食を食べられる日が増え、娘の笑顔を見てようやくほっとした。
心配していた成績は、もともと得意だった国語の偏差値が10以上上がり、娘にとって過去最高を記録した。4教科の偏差値も引き上げられ、志望校の偏差値を大幅に超えることができたのだ。
やり始めたからにはやり抜くべきだ、という気持ちは親なら誰でも持つだろう。ただ、子どもの様子を見ながらその時々で判断を変えることも、受験を支えるということの一部なのだと、あの秋に学んだ。
◆橋本ひとみ(はしもと・ひとみ) 3児を育てるママライター
2026年、長女が1度塾をやめるという回り道を経て大学付属中学に進学。現在は長男が大手中学受験塾で中高一貫校を目指して奮闘中。次男は中学受験はせず公立へ進学予定と、3人3様の選択をする子どもたちに日々翻弄されている。中学受験を支える親のリアルをSNSで発信中。
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