稀代の名優・仲代達矢さんが92歳で亡くなった。
2013年3月30日、東京・新宿の紀伊国屋ホールで行われたトークイベント後、先輩記者による仲代さんの取材現場に立ち会った。時代劇、黒澤明監督、同時代のライバルだった大物俳優、役者論…といったテーマについて語る存在そのものからオーラがあふれ、その場は〝舞台〟と化していた。
新宿での役者同士のケンカの話になると、ギラリと鋭い眼光を放った。「鬼龍院花子の生涯」(1982年、五社英雄監督)で演じた土佐の侠客・鬼龍院政五郎がその〝光〟の中にいた。
映画俳優としての膨大な出演作を振り返ると、改めて引き出しの多さを感じる。
松田優作さん主演で知られる大藪春彦原作の映画「野獣死すべし」(80年、村川透監督)も、その映画化1作目は59年に公開された仲代さん主演版(須川栄三監督)。モノクロ映像の中で冷徹な殺人者の虚無を表現したかとおもえば、(仲代さん出演作であまり語られることはないが…)江利チエミさん主演の実写版映画「サザエさん」(56年、青柳信雄監督)ではノリスケを〝ぬぼー〟とした表情でコミカルに演じた。作品を観る人の数だけ、さまざまな仲代さんがいる。
先述の取材は映画史・時代劇研究家の春日太一氏の著書「仲代達矢が語る 日本映画黄金時代」(PHP新書)の発行記念トークイベント後に行われたものだった。当時80歳の仲代さんに対し、春日氏は35歳。45歳年長となる相手の懐に飛び込んだ春日氏を同年夏に取材し、仲代さんとの向き合い方を聞いた。その言葉を再現する。
「(その時点までに仲代さんを)10回取材し、その日、うかがう映画を徹夜で見て臨みました。(主演映画)『人間の條件』(59~61年、小林正樹監督)について聞く時は6部作を計12時間ぶっ通しで見て、無名塾(※自宅の稽古場で主宰する俳優養成塾)に直行。ボロボロになりましたけど、ご本人のお話に実感を持てました。仲代さんには聞き手として絶対の信頼感がある。何を聞いても『分からない』や『覚えていない』が一つもなかった」(春日氏)
その仲代さんも、自分に立ち向かってくる若き〝挑戦者〟の情熱を受け入れた。無名塾で自分よりはるかに若い世代と対峙(たいじ)してきた生き方にも通じる。同書は17年に大幅加筆されて文庫化(文春文庫)されている。
12年前のステージで、春日氏を相手に仲代さんはこう語った。「舞台は足腰ですから。だいぶ弱ってきましたが、死ぬまで頑張ろうと思っています」。その言葉通り、〝生涯修行〟を貫いた。