大河ドラマ「べらぼう」第42回は「招かれざる客」。「べらぼう」には多くの遊女たちが登場しますが、時にその悲惨な境遇が描かれてきました。遊女は抱主(遊廓の主人)の怒りに触れると、恐ろしい罰が与えられました。例えば、竹篦にて「絶え入る」まで叩かれ続けたと言われます。また裸にされた上で、口には手拭いが押し込まれ、梁に吊り下げられます。その時には支体は「四つ手」に縛りあげられていました。そうした状態にさせられて打たれるのです。この拷問は「つりつり」と称されました。この竹篦での折檻や「つりつり」は「亡八」(遊廓の主人)が自ら行ったとのこと。遊廓の主人は、こうした拷問によって、自らの威力を見せつけて、遊女を脅していたのです。
遊女を脅かしたのは「亡八」だけではありません。遊女の仕事は「身心」の消耗があり、それにより病となる女性もおりました。「瘡毒」(梅毒。性感染症の一種)に侵される遊女も多くいました。梅毒により「身体崩れ」ると、遊女の仕事を続けることはできません。ちなみに梅毒に罹患して寝込むことを「鳥屋につく」と言いました。髪が抜けるのを、鷹が夏から脱毛して冬毛に生え変わる様子に例えたのです。
さて、梅毒に罹り、本復叶わないとなると、看病も碌にされず「干殺し同様」の状態に置かれたようです。絶望した遊女の中には首を括ったり、井戸の中に身を投げたり、喉を突いたり、舌を噛んだりして「変死」する者もおりました。
遊女の死は隠されて、寺の「惣墓」に埋められることもありました(これは投げ込みと呼ばれました)。死んだと思われた遊女の中には、寺の沐浴場・葬穴場などにおいて稀に「蘇生」することもあったとのこと。先ほど、遊女が梅毒に罹ると「干殺し同様」の状態に置かれたと記述しましたが、その一方で一度、梅毒に罹り治った遊女は歓迎されたと言います。なぜか。一度、梅毒に罹るともう罹らないという大いなる誤解があったからです。
(主要参考・引用文献一覧)
・武陽隠士『世事見聞録』(青蛙房、1966年)
・永井義男『図説 吉原辞典』(朝日新聞出版、2015年)