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大河ドラマ「べらぼう」蔦屋重三郎が度量が大きい男と評された納得の訳 識者語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(Stefan Scheid/Wirestock Creators/stock.adobe.com)
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 大河ドラマ「べらぼう」第36回は「鸚鵡のけりは鴨」。松平定信による寛政の改革は思想・情報の統制を含むものでした。出版統制令を発して、風俗を乱す好色本の類、あるいは政治批判を含む出版物を禁じたのです。その改革の「魔の手」は、重三郎と縁のある戯作者のみならず、重三郎をも直撃することになります。寛政3年(1791年)、戯作者の山東京伝は蔦屋から『箱入娘面屋人魚』との黄表紙を刊行しますが、その中において、京伝が戯作(小説)の執筆をやめたいと重三郎に伝えたとの記述があります(「まじめなる口上」)。

 京伝は戯作執筆を無益のことと述べ、創作意欲を失くしているようにも見えますが、その背景には黄表紙『黒白水鏡』(作者は戯作者・石部琴好。京伝は挿絵を担当。田沼意知刺殺事件を風刺)が前年に幕府の咎めを受け、京伝が罰金刑に処されたこともあるようです。重三郎は「(京伝が戯作を書いて蔦屋から刊行してくれなければ)私の店は衰微してしまいます。是非是非、当年ばかりは戯作を書いてください」と必死に頼み込んで、京伝の意思を翻させるのでした。重三郎と長年にわたる付き合いということもあり、京伝は再び戯作を書くことにしたのです。

 そして寛政3年には蔦屋から『娼妓絹籭』『青楼昼之世界錦之裏』『仕懸文庫』という洒落本を出版します。ところが遊廓を題材としたこれら「猥り」「不埒」な洒落本は禁令を犯したということで京伝は手鎖50日の刑を受けるのでした。重三郎は財産の半分を没収(重三郎が財産の半分を没収されたかについては異説あり。それ程、大したことはない罰金刑であったか)されたと言います。とにかく重三郎は罰金刑に処されたのです。人によってはこのような罰を受けたら萎縮して、店を畳んでしまうかもしれません。が、重三郎はそうではありませんでした。更に前進しようとするのです。「大腹中の男子」(度量の大きい男子)と重三郎は評されることがありますが、困難が襲った後の対応を見たら、その評価が適切なことがよく分かります。

(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002年)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024年)

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