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「アフロが嫌だった」もがき悩んだトータルテンボス、50歳の“生きざま”「芸人人生で今、一番楽しい」

藤丸 紘生 藤丸 紘生
全国漫才ツアー2025「半世紀」を開催するトータルテンボス・藤田憲右(左)と大村朋宏(撮影・藤丸紘生)
全国漫才ツアー2025「半世紀」を開催するトータルテンボス・藤田憲右(左)と大村朋宏(撮影・藤丸紘生)

 漫才師・トータルテンボスが今、自然体の生きざまでネタに磨きをかけている。全国漫才ツアー2025「半世紀」(10月4、5日 静岡・沼津ラクーンよしもと劇場ほか、全国14カ所16公演)を開催予定で、2人そろって50歳を迎える今年、藤田憲右(49)は「芸人人生の中で今、一番楽しいかも」、大村朋宏(50)は「体力的な心配は全くない」と話す。衰え知らずの2人がこのほど、よろず~ニュースのインタビューに応じ、その境地に達するまでの苦悩、アフロヘアーに対する思いを語った。

  ◇  ◇

 若者向けの言葉でツッコむ“渋谷系漫才”として頭角をあらわした2人も五十路(いそじ)に。当時と変わらぬスタイルを保ちつつ渋みが増した大村は「いよいよ50(歳)に突入かくらいの、あんまり悲観はしてない」と冷静に捉える。一方、藤田は「何にも変わらないってことはないですね、分岐点というかターニングポイントというか、考えますよね」と言葉を紡いだ。

 変わったといえば、藤田の髪形。トレードマークだったアフロヘアーを約3年前にやめた。「頭皮へのダメージという問題もあるんですけど」と加齢による毛根の劣化が根本的な理由とした上で、「もうアフロキャラで売っていく、認知を広めていこうというキャリアでもないと思って」と真意を明かした。そして「アフロにしているのが、正直言って僕は嫌だったんですよ」と意外な言葉をこぼした。

 「目立つ髪形に」という大村からの提案で始めたアフロヘアー。大村は「ずーっとアフロでいこうという事ではなかったんでね。その時のノリで『アフロとかどう?』とやってみただけなので」と回想。藤田も当時は「奇抜な髪形もしてみたいなっていうのがあって。やってみたら、まあまあ似合ってたんで」とお試し感覚だったという。しかし、2004年の「M-1グランプリ」で決勝に初進出したこともあって、“トータルテンボス=アフロ”の図式が定着した。

 ブレークのさなか、藤田の心は複雑だったという。「ずーっとアフロをやるのはキツくて。アフロが嫌というより同じ髪形をずっとするのが嫌なんですよね。せっかくいろんな選択肢があるのに、ずっと同じ髪形じゃんって」。第三者から見れば羨ましいほどのトレードマークがゆえ、その悩みは理解されず「『芸人のくせに』と。髪を戻したら『もう笑いを取るのはやめたんだ』って言われるじゃないですか、それに“なんでだろう”っていうのはありましたけどね」と当時を振り返った。

 藤田から不満をぶつけられることもあった大村は「トータルテンボスといえばアフロってなってんだぜ?俺なんて“じゃない方”だよ。羨ましいよ」と上手くいなしていたとか。大村は藤田について「ひとつのことにとどまる奴じゃないんで。ノリがころころ変わるから、髪形も本来はいっぱい変えたい人なんで」と理解を示し、「(ノリで始めたものに)必要以上に世間が食いついちゃった…ただ(藤田は)そういうのに対応するのが下手な部類なんですよ。僕もそこまで上手くないですけど」と話した。

 キラーワード「ハンパねぇ」も一時期、藤田がノリで多用していた言葉でそれを漫才に取り入れてみたことが始まり。しかし、世間が注目した頃には自身の中でそのノリは終了しており、自身と世間で熱量に乖離(かいり)があったという。藤田は「そこが乗っかりきれないなって…ダメなんですけどね、本当は。結構リアルに生きたいなっていうのはありましたね」と振り返った。

 流行りのノリがころころ変わる中、2006年から始めた毎年恒例の漫才ツアーはコロナ禍を除いて変わらず続けてきた。元々、M-1優勝を目指し始めたものだったため、出場資格を失った2008年からは、変わらず取り組みたい大村と、どこか糸が切れた藤田でモチベーションの違いが生まれた時期もあった。それでも今は2人してマイク1本の話芸に向き合っている。藤田は「これがやるべきことだよなって。考え方がプロになってきたということですかね、未熟だったんで。結局、残ってんのこれ(漫才ツアー)だけですからね、ずーっと継続してやってんのは」とかみしめるように語った。

 今年の漫才ツアーは10月4、5日の静岡・沼津ラクーンよしもと劇場を皮切りに、11月28日の大阪・なんばグランド花月など、約2カ月半で全国14カ所16公演を実施予定。近年では最大規模になるが、体力的な心配は「全くないですね」と大村は口にする。「『大変』という感覚にまだなってないですね。藤田もそうですけど、体力おばけなコンビなんで」とさらり。50歳にして、仕事に趣味にアクティブに動きまわっている。

 一方で、漫才自体は「ゆったりとした落ち着いた寄席漫才」がなじんできた。藤田は「自然体でやっていく、力が抜けた状態で楽しくやっていきたい」と今のリアルな漫才に手応えを感じている。悩みながらも走ってきた結果「芸人人生の中で今、一番楽しいかもしんないですね。芸人は『生きざまを切り売りするもんだ』と聞いたことがあって、生きざまも良くなればネタも良くなると。いま多分、いい生きざまだと思うので、ネタもいい感じになるんじゃないかなって」と、その表情に充実感を漂わせた。

 ◆トータルテンボス 藤田憲右(1975年12月30日、静岡県出身)と大村朋宏(1975年4月3日、静岡県出身)によるコンビ。吉本興業所属。ともにNSC東京校3期生で、1997年4月に結成。「ハンパねぇ」など若者言葉でツッコむ“渋谷系漫才”でブレーク。2004、06、07年に「M-1グランプリ」決勝に進出し、07年は準優勝に輝いた。YouTubeチャンネル「トータルテンボスのSUSHI★BOYS」はドッキリ企画が人気で、登録者数65.3万人をほこる。

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