大河ドラマ「べらぼう」第30回は「人まね歌麿」。江戸幕府の老中となる松平定信の少年時代は、寺田心さんが演じていましたが、長じてからは井上祐貴さんが演じることが6月28日に発表されました。寺田さんが定信をずっと演じるものと思っていた人も多く(筆者もその1人でした)、ネットではちょっとした驚きの声があがっていました。
それはさておき、定信とはどのような人物だったのか。「べらぼう」で久しぶりに登場した定信について復習を兼ねて前半生を見ていきましょう。定信が生まれたのは宝暦8年(1758年)のこと。その父は徳川(田安)宗武。有名な8代将軍・徳川吉宗の第2子として生を受け、御三卿の1つ田安家の初代当主となった人物です。つまり定信(幼名は賢丸)は吉宗の孫でした。
定信の母は、宗武の側室とや(香詮院)。とやは山村氏の娘です(山村氏の本家は尾張藩の家臣)。さて、幼少期の定信は病がちで、一時、危篤になることもありましたが、治療により一命をとりとめています。少年時代の定信は儒学や書道などを師について学び、しかも幼名の如く聡明でした。8歳の頃から将来は将軍を補佐する賢明な宰相になりたいとの大志を抱いたとのこと。父・宗武は自らの兄・家重(9代将軍)に対抗し将軍就任を希望していましたが、それは叶わず。よって少年期の定信は自分は何としても幕政に関与したいと願ったのでしょう。
明和8年(1771年)、父・宗武は死去。田安家は宗武5男の徳川治察が継承します。定信の1つの転機となったのが安永3年(1774年)のことです。陸奥白河藩主・松平定邦の養子となることが決定したのです。治察は自分に子がいなかったので、定信が定邦の養子となることを望みませんでしたが、10代将軍・徳川家治の命令とあらばどうしようもありません。定邦は徳川一門から養子を迎えることにより、家格の上昇を図ったようです。
老中・田沼意次の後援もあり、定邦は定信を養子に迎えることに成功します。しかし定信(田安家)は定邦の養子となることは望まなかったようです。「もと心に応ぜざる事なれども、執政邪路の計らいより、せんかたなくかく為りし」(不本意なことではあるが、老中の邪道により、仕方なく養子となった)と定信は自叙伝『宇下人言』で田安家側の想いを吐露しています。