5月30日は不世出の歌手・尾崎紀世彦(2012年死去、享年69)の命日。没後13年の今も、代表曲「また逢う日まで」は世代を超えて歌い継がれているが、実は、この曲のイントロには「秘話」があった。その真相を自著で解き明かした俳優で歌手、歌謡曲研究家の半田健人(40)に話を聞いた。(文中敬称略)
1984年生まれの半田はテレビ朝日系特撮ドラマ「仮面ライダー 555(ファイズ)」(03年~04年放送)で10代にして主演を務め、その後は歌手としても活動。小学生の頃から60~70年代の歌謡曲研究も続け、今年4月に初の著書「たずねる 半田健人の歌謡曲対談集」(本の雑誌社)を出版した。
「また逢う日まで」はGSバンド「ズー・ニー・ヴ―」の「ひとりの悲しみ」(70年2月発売)を〝前身〟とし、翌年、阿久悠が歌詞を書き替えてタイトルを改めた。作曲した筒美京平による斬新な編曲と、尾崎のダイナミックな歌唱によって大ヒットし、71年の日本レコード大賞に輝いた。現在もカラオケの〝定番〟として、昭和歌謡の枠を超えたスタンダード・ナンバーになっている。
本書では「また逢う日まで」のイントロ「パッパッパラーララッ…」の後で2回、「ドンッ!」と響くドラム音に隠された逸話も披露された。
この〝一撃〟はドラムセットの中で、奏者右側の床に置かれた「フロアタム」を叩いた音。同曲のドラム奏者は日本ジャズ界を代表する猪俣猛(24年死去、享年88)だったが、その音のみ、奏者が〝別人〟であると見抜いた人物がいた。作曲家・編曲家の馬飼野俊一だ。
馬飼野と親交のある半田は「今回の本にも出ていない話です」と前置きした上で、「僕が『あの曲のドラム奏者は猪俣さんだから、あの〝ドンッ〟も猪俣さんですよね』と言ったら、馬飼野先生は『いや、あれ田中君だよ。だって、あの〝ドン〟って音は田中君だもん』と言われるわけですよ」と証言した。
この「田中君」とはスタジオ・ミュージシャンとして著名なドラマー・田中清司。70~80年代にかけて歌謡界では「田中清司が叩けば売れる」という伝説があったという。実際、森進一の「襟裳岬」(74年)、沢田研二の「勝手にしやがれ」(77年)、ジュディ・オングの「魅せられて」(79年)、八代亜紀の「雨の慕情」(80年)といった歴代のレコード大賞受賞曲をはじめ、山本リンダの「どうにもとまらない」(72年)、チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」(73年)、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(75年)、山口百恵の「プレイバックPart2」や「いい日旅立ち」(共に78年)などのヒット曲でドラムを叩いている。
半田は「馬飼野先生にとって、自分の楽曲の約8割は田中さんが叩いているわけです。だから、『田中清司の音』を知り尽くしている耳なんですよ。その先生が『あれはどう聴いても田中君の音だ』と言われた。その時、僕は『あそこだけ田中さんの音に差し替えるのは考えづらいから、あれは猪俣さんですよ』と言い返したんですけど、実は馬飼野先生の耳が正しかった」と明かした。
当の田中は本書のインタビューに登場。半田の問いに対して「そう。あれ一発でこんなにお金もらっていいのかなって」「一応ドラムセットを持って行って『何やるんですか?』って聞いたら『ドン』をやってくれって言われて。一生懸命セットしたのにドン一発だけかい!って思った(笑)」と回答した。
本書に登場する音楽プロデューサーの本城和治は、このドラム音がジャズドラマー・日野元彦による演奏との考えを示したが、半田は「田中さんです」と本人への裏取りを経た真相を説明。その前提として、編曲の筒美には「重い音」への「並々ならぬこだわり」があり、ロック・テイストのある田中の起用に至ったということで、歌謡史における謎の一つが解明された。
半田は「日が当たらなかったミュージジャンや裏方さんの仕事も見直していただくということで、こうして書籍になってくのはすごくいいことだと思います」と手応えを示した。
歌は世につれ、世は歌につれ…。流行歌として生活に溶け込んだ歌謡曲も、さらに掘り下げることによって、その背後にある知られざる人間ドラマが浮き上がってくる。