大河『べらぼう』“宝暦の色男”が書いた『見徳一炊夢』の特色 壮大な夢のお話の魅力 識者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(Stefan Scheid/Wirestock Creators/stock.adobe.com)
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 NHK大河ドラマ「べらぼう」第19回は「鱗の置き土産」。蔦屋(重三郎)が朋誠堂喜三二の『見徳一炊夢』を刊行し、それがヒットする様が描かれていました。  

 朋誠堂喜三二はペンネームであり、本名は平沢常富と言いました。享保20年(1735)に生まれた常富の父の姓は西村でしたが、常富14歳の時、平沢家の養子となったのです。父は武士でしたし、養子に入った平沢家も秋田藩の江戸詰の武士でした。秋田藩の藩主の近習などを経て留守居役に昇進した常富には戯作者としての顔もありました。 また、常富は一種の社交サロンでもあった吉原に通い続け、自ら「宝暦の色男」と称しています。

 戯作者として黄表紙を書く常富のヒット作が蔦屋から刊行された『見徳一炊夢』(1781年)です。 作品は黄表紙評判記『菊寿草』(作・大田南畝)の中において同年の最高傑作として認められています。夢にまつわる黄表紙と言えば恋川春町の『金々先生栄花夢』(版元は鱗形屋、1775年)が有名です。この作品もヒットを飛ばしましたが、黄表紙に夢の趣向がよく現れるのはそのためでしょう(喜三二には『気散夢物語』との黄表紙もあります)。

 ちなみに恋川春町(本名は倉橋格)も駿河小島藩に仕える武士であり、常富とも仲が良かったと言われています。『金々先生栄花夢』は『菊寿草』において、この作品から草双紙(絵入り娯楽本)は大人が楽しむものにもなったと評されています。   

 『見徳一炊夢』は、『菊寿草』では「夢物語の夢よりは、ちと実がありて大当たり、大当たり」と評されているのですが、それではどのような作品なのでしょう。

 同書の主人公は清太郎と言い、浅草の商家・芦野屋清右衛門の息子でした。手代の代次と帳合に精を出していた清太郎は蕎麦を注文。さて当時、浅草では有料で「邯鄲の枕」を貸し、様々な夢を見せる商売が流行っておりました。清太郎は千両も使って50年にも亘る夢を見ようとします。鎌倉・都・大坂・長崎、ついには中国にまで赴く清太郎。やがて江戸に戻った清太郎は遊廓に通い、遊女を身請けします。

 一方で俳諧や歌舞伎芸・能・茶の湯にも精を出す清太郎ですが、70歳近くになり、故郷を懐かしく思い実家を訪問します。しかし、そこには清太郎の浪費のために借金の催促が殺到。屋敷や大金も消え去ってしまいます。清太郎は剃髪し、諸国修行に出ようとしますが、実はそれらは全て夢。夢が覚めてみるとそこには注文した蕎麦が来ていたのです。

 片田舎の若者が江戸に出て、富豪の後継者となり豪遊するという『金々先生栄花夢』よりもスケールが大きい、夢のお話ということができるでしょう。

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