NHK大河ドラマ「べらぼう」第11回は「富本、仁義の馬面」。遊女・瀬川(小芝風花)を身請けしたのは、市原隼人さん演じる鳥山検校です。鳥山検校は盲人であり、瀬川を身請けしたことで知られていますが、驚くべきはその身請けの代金。代金は1500両であったとされます(現在のお金で言えば、約6000万円とも言われています)。それにしても鳥山検校はどうしてこのような大金持ちだったのでしょう。
まず徳川幕府は盲人の保護政策として、座頭に金貸業を許可していました。盲人の貸金のことを「官金」または「盲金」と言います。盲人が金を貸す時は「借用書」に「官金」(お上のお金)の文字を記載しなければいけませんでした。「官金の内、借用仕り…」などと書かなければいけなかった訳ですが、こうした事を幕府が許したことは「過保護」(八剣浩太郎『銭の歴史』)との見方もあります。当道座と呼ばれる男性盲人の自治的職能互助組織が中世から近世にかけて存在しましたが、そのトップが検校でした。
当道座は公認のものであり、前述の通り自治が許されていました。死罪や流罪に相当するような重罪であっても「座法」でもって処断されます。また、金銭による官位の売買も認められ、売官によって得た金を座中の者に配分することも許可されていました。後述するように「官金」は返済期限に遅れると大変なことになりましたし、利子が高利貸し並み。取り立ても厳しいものだったのです。
江戸時代後期には、約3000人の江戸の盲人が高利貸しをやっていたとされます。返済期限に遅れるなど金銭トラブルがあり、盲人側が借りた人を訴えた場合、町奉行は優先的にその訴訟を取り上げました。裁決は盲人側が必ず勝ったとも言われ、敗れた側(金を借りた人)は最悪、流罪にまでなったと言われています。
盲人による官金貸付は江戸に多かったのですが、前述したような理由から世の人は官金を「ひど金」(酷い金)と呼び、憎んだとのことです。鳥山検校が大富豪となった裏には多くの人々の悲嘆があったと言えるでしょうか。
◇主要参考引用文献 ・八剣浩太郎『銭の歴史』(大陸書房、1978)。原田信一「近世の座頭にみる職業素描」(『駒沢社会学研究 文学部社会学科研究報告』29、1997)