プロレスラーで文京区議の西村修さんが死去 53歳 「無我」を伝導、映画「いかレスラー」主演も

杉田 康人 杉田 康人
首里城公園で瞑想する西村修さん=2005年1月20日
首里城公園で瞑想する西村修さん=2005年1月20日

 東京都文京区議で、プロレスラーの西村修さんが28日、食道がん(扁平上皮がん)のため死去したことが分かった。53歳だった。西村さんがかつて所属していた新日本、全日本の両プロレス団体が公表した。

 西村さんは2024年に食道がんのステージ4と診断され、闘病中だった。1月31日に後楽園ホールで開催されたジャイアント馬場没25年追善興行に参戦予定だったが、体調不良のため欠場。ドラディションの藤波辰爾(71)が、確執を超え緊急参戦していた。

 90年(平成2)4月に、新日本に入門。91年4月21日の沖縄県糸満市西崎総合体育館大会での飯塚孝之戦でデビューした。藤波が提唱する自主興行「無我」に参戦し、06年1月の新日本退団後は藤波とともに「無我ワールド・プロレスリング」を設立。翌07年には「無我-」を退団し、全日本に入団。10年2月の退団後は、フリーとして活動していた。

 新日本のIWGPタッグ王座や、全日本の08年チャンピオン・カーニバルを制覇。04年公開の映画「いかレスラー」(河崎実監督)でも主演した。

 10年の参院選に、当時の国民新党から比例代表で出馬したが落選。11年に文京区議選に無所属で立候補し、初当選。4期目の〝議員レスラー〟として活躍していた。

 「西村説法」と呼ばれたマイクパフォーマンスに代表される特異なキャラクターで人気だった。98年に後腹膜腫瘍を公表。00年にリング復帰を果たした西村さんだったが、食道がんの闘いでは奇跡は起こらなかった。

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