俳優の和田正人がこのほど、大阪市内でよろず~ニュースの取材に応じた。映画「くすぶりの狂騒曲」(13日公開)で主演を務めるなど、映画、テレビ、舞台と幅広く活躍している。実業団の陸上選手から転身して20年。俳優を目指したきっかけ、現在の心境について語った。
「くすぶりの狂騒曲」ではお笑いコンビ・タモンズの大波康平を演じる。2014年「大宮ラクーンよしもと劇場」オープンに合わせて、東京の劇場でくすぶり続けていた芸人で作られたお笑いユニット「大宮セブン」の真実に迫る物語。オファーが来た時は素直に喜んだ。「漫才師にリスペクト、憧れというか、格好いいなとずっと思っていたので。いつか演じる機会があったら、誰にも負けない漫才師を演じてみせると思っていました」。笑い飯の大ファンで、劇中にも登場するM-1は毎年欠かさず見ており、第3回、第10回の決勝大会を観覧するほど、筋金入りのお笑い、漫才好きだ。
成功を夢見る芸人たちの軌跡をたどる青春群像劇。共感する部分も多い。「お笑い、漫才師、芸人という仕事にこだわって、本当にどれだけしんどくても苦しくても、やり続けたところですね」。自身は陸上選手として大学時代は箱根駅伝を経験。卒業後は実業団に入部したが、1年で廃部になったことをきっかけに、役者の道へ進むことを決意した。「当然、なれる保証もなかったですし、なれたとしても売れるとか、飯を食っていけるという保証もないようなところに飛び込んでしまったわけで」。諦めきれず、やり続ける覚悟―。自分と重なった。
実業団での1年間はケガに泣かされた。陸上選手の寿命は長くない。引退後に指導者の道へ進めるのは少数。自身の将来を考えた。「死ぬまでプレイヤーとして魂を燃やしていきたい」。たどり着いた結論が役者だった。「頑張れば頑張るほど、年を取れば取るほど、どんどん熟成されて深まっていくし、いい職業だなと」。行き先が見えてきた。
同じタイミングで実業団の陸上部が廃部が決まった。「その時に『やるなら今チャンスやぞ!』って背中を押されたような気持ちがあったんですよ」。会社を辞めてアルバイトをしながら、自分で見つけたワークショップに通い、オーディションの情報を探し回った。
俳優を目指して1年後、オーディションに合格。「年齢を詐称して受けているんですけど、合格して(事務所に)お世話になることになったという」。陸上部のチームメイトが移籍して活躍するのを見ながら、複雑な気持ちになったことも。「しんどかった時期もあったので、やっとスタートラインに立つことができたというかな。でも、1年とかなり早いタイミングだったので、ラッキーだなって」。喜びと安堵が入り交じった気持ちだった。
自分の選択は間違っていなかったと感じた。「運命のレールみたいのがあったら、ちゃんと乗っかかっていたんやなって。あのとき、神様が背中を押してくれたのは、やっぱり、ここに来るためだったんだと」。願いはかなった。
ケガに泣かされ続けた実業団時代、廃部となってから役者を目指したこの2年間は、これまでの人生の中で一番、くすぶっていた時期。その中で支えになったのは俳優になると決めた『目標』だった。「もうそれしかないですね。そこは陸上選手時代に鍛えられたメンタルというか。スポーツ選手全般に多分、言えることだと思うんですけど、ランナーはゴール地点があるから走れるんですよ。明確なゴールがあるから、努力もできるし頑張れる」。あきらめる気持ちはなかった。
最初の10年はめちゃくちゃ売れたい、稼ぎたい、いいマンションに住んで、車を買って、いつかは結婚して、子どもを持って…とモチベーションは高かった。2017年にタレントの吉木りさと結婚、1男1女に恵まれた。「ある程度、手に入れちゃうと、あれ、俺、どこに向かっているんやろ?というのは、正直、この数年ありましたね」。仕事にプライベートと順風満帆に見えても、もやもやとした気持ちがどこかにある。
「もしかしたら、今もくすぶっているかもしれないです。ありがたいことにお仕事とかはさせてもらってはいるんですけど…。今45歳で、俳優として50、60歳になった時に、どういうところに向かって行けばいいのかというのは、模索していた部分もあったので。順調なのかどうかもよく分からないというか…、もっと行けるはず!と思っている自分もいるので」。作品ごとにゴールはあるとしても、俳優はゴールのない職業。悩み、迷いながらも自分が選んだ道をこれからも歩んでいく。
◆和田正人(わだ・まさと)1979年8月25日生まれ、45歳。高知県出身。2005年に舞台「ミュージカル・テニスの王子様」で本格的に俳優デビュー。NHK朝ドラ「虎に翼」に出演するなどドラマ、映画、舞台と幅広く活躍。高校卒業後に進学した日本大学では陸上競技部に所属し、箱根駅伝に出場した。2017年11月22日にタレントの吉木りさと結婚し、1男1女の父。