初代タイガーマスクこと佐山聡(66)が総監を務める「初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレス」(SSRW)の東京・後楽園ホール大会が26日に開かれ、今月9日に68歳で死去した“虎ハンター”小林邦昭さんへの追悼式が行われた。
第3試合終了後、1983年6月2日・蔵前国技館大会の一騎打ちの映像が流れ、佐山が新間寿会長とリングイン。佐山は「17歳から18、19、20歳とリングで小林邦昭さんと最高の試合を戦ってきました。小林さんが後輩の僕を引っ張り上げてくれました。亡くなる1週間前、『オレたちいい試合をしたな』と言われ、僕はタイガーマスクの試合と思いましたが、彼は若手時代、僕が一回も勝てなかった時代のことを言っていました。お互いに病気が治ったら飯を食おうな、と言ったのが最後でした。非常に残念です」と語った。
「17歳から20年がたちましたが…」と続けると、会場に笑いが起きる中、「ちょっと違うかもしれない」と頭をかいた佐山。「小林さんは僕にとって良きライバルであり、恩人であり、僕のタイガーマスクをつくってくれた、僕の動きは小林さんにつくってもらった。お互いにすごいライバル。ベビーフェイスとかヒールとか、タイガーマスク時代も一切考えたことはありありません。タイガーマスクの試合は、若手の頃の試合をそのままぶつけたものです。時が流れてもお互いに尊敬し合い、小林さんが永遠の眠りについたときは、残念で仕方ありませんでした」と悼んだ。
最後は「今、小林さんがこの会場に来ていると思います。必ず小林さんの分まで、ブロレス界を新間さんと盛り上げていきます」と誓った。観客とともに黙とうを捧げる中、追悼の10カウントゴングが響いた。
バックステージでは親交のあるタレントの大木凡人がなぜか“乱入”する中、かつて故・アントニオ猪木さんとともに新日本プロレスの“過激な仕掛け人”として辣腕を振るった新間会長は、小林さんについて「若手の頃からトレーニングがすごかった。タイガーマスクのマスクをはいで、客席に投げ込んだときは頭にきたね。彼は戦う状況を自分で作り上げたんだ」と、称賛の言葉を口にしていた。