感謝の気持ちと男気でベトナムのメコン川に橋を架けた男がいる。建築関連企業「スチールエンジ株式会社」(東京都中央区)の松谷竜二郎代表(59)がその人だ。元プロ野球巨人の投手、というより年商200億円企業のトップ。「ベトナムに100本の橋を架ける」ことを目標に、今年3月に1本目の橋を完成させた。なぜ、そんな行動に出たのか。橋に込められた思いに迫った。
橋に込められた熱い思い
この国もまだまだ捨てたものではない。「橋を架ける」とか「架け橋になる」は友好や交流の証しを表す言葉としてしばしば使われるが、本当に橋を架けた人は、そうそういないのではないか。
東京都中央区に本社を構え、北海道から沖縄までの全国主要9都市にも拠点を置くスチールエンジ。そのグループの代表を務める松谷さんがベトナムのメコンデルタに橋を架けた張本人だ。
「やっと1本目が完成しました。これからも、われわれのグループに携わってもらっている会社や取引先の方々にお声がけをし、どんどん橋を架け、このプロジェクトを完遂させたいと思っています」
ベトナムとの関わりは?
そもそもの発端は2018年。建築業界も人手不足が進み、ベトナム人実習生を多く採用するようになった。その際にも松谷さんの「人との関わりを大切にする」スタイルは変わりなく、外国人の受け入れを円滑にサポートできるように「組合」をつくり、現地調査。雇用できる仕組みを作り上げた。
また2019年には社員旅行でベトナムを視察訪問。コロナ期間中もリモート面接で実習生の受け入れを続けるなど、ベトナムとの信頼関係を育んだ。
ブリッジ100プロジェクトの発足
やがてコロナが明け、交流が深まる中、松谷さんの耳にある話が飛び込んで来た。それはベトナムのメコン川下流の三角州、いわゆるメコンデルタでは雨季になると川が氾濫し、木製の簡易な橋は流されてしまい、通勤通学ができなくなるという悩みだった。
「橋がなくなると上流まで歩いて遠回りして向こう岸に行かなくてはならない。だから子どもたちは小さなボートや浮輪を使って命綱のロープを引っ張りながら渡って通学するそうなんですが、流されて命を落とすこともあるとか。お世話になっているベトナムのためにも、これは何とかしなければと思った」
それが23年に立ち上げた「ブリッジ100プロジェクト」で「ベトナムに100本の橋を架けよう」という奇特な試み。その思いはグループの結束を生み、現地の自治体も大歓迎。この3月に第1号の橋が完成し、その竣工式を終えた。
オープニングセレモニーではグループ現地法人の女性スタッフ、ファム・ゴック・ニさんがあいさつ。スピーチで感謝の気持ちをあらわした。
「私の地元、パクリュウ省に橋が完成しました。ここは広大な畑と曲がりくねった川のある土地ですが、田畑を横切るのは古い橋で、その橋には手すりがなく、いつ川に落ちてもおかしくない危険な橋でした。新しい橋が建設されたことで移動が便利になり、地元の人は感動し、喜んでいます」
橋は幅3メートル、長さは30メートルで総工費は300万円。コンクリート製で手すりの部分はスチールエンジの象徴でもある赤色で塗られている。
プロ野球選手から異色の転身
そんな松谷さんは大阪市出身で大阪ガスから1988年ドラフト2位で巨人入り。91年には21試合に登板した。95年に近鉄へ移籍。通算4勝4敗の成績を残し、97年に球界を去ると、33歳から建築業界に転職。スチールエンジの代表取締役にまで上り詰めた。
この8日からは巨人時代の先輩、槙原寛己さんが主宰するYouTubeチャンネル「ミスターパーフェクト槙原」に4回に分けてゲスト出演。野球への恩返しも忘れておらず、少年少女への普及をサポート。その一方で、気になっているのがプロ野球選手のセカンドキャリア。ときに法に触れてしまった選手がいることに心を痛めている。
「野球を辞めてからの人生の方が長いですからね。そこからどう生きるか。私の場合は社会人を経験したのが大きかったかもしれない。プロ野球選手でも、がんばっている人がいるというのを見せたい部分もある。ベトナムでの取り組みもその一環。ゆくゆくはアジアの国々ともいい関係性を築けたらと思います」
夢はどんどん広がっている。松谷さんはまだまだ人生のマウンドを降りるつもりはない。