天国と地獄を見た元ボクシング日本王者が描く夢 ネットの誹謗中傷に心が折れそうになった時も

中江 寿 中江 寿
整体師として活動する金光佑治氏
整体師として活動する金光佑治氏

 衝撃的なタイトルマッチから15年…。整体師として大阪府堺市でリラクゼーションサロン『ほぐし屋KID』を経営する金光佑治氏は、元ボクシングの日本王者。2009年3月の日本ミニマム級タイトルマッチで激しい打ち合いを制して初めてタイトルを獲得するも、対戦相手の辻昌建さんが急性硬膜下血腫で試合3日後に亡くなり、自身もその後に硬膜下血腫が判明してタイトルを返上、5月に引退した。目標だった世界王者への道をあきらめるしかなく、今後の身の振り方を考えていたところ、所属していた六島ジムからの勧めもあって、ボートレーサーを目指すことを決めた。

 「ボートレース自体は知っていましたけど、レース場に行ったことはなかったので。ただ、調べていく中で、減量とかの経験が生かせるし、僕自身が性格的に勝負ごとか好きというか、白黒はっきりつく世界で、お金も稼げそうだと。もうひとつは自分の欲求を満たしてくれる職業かなっていうのでピンときて」。自身のキャリアが生きると思った。

 ボートレーサーになるためには国内唯一の養成所「やまと学校」を卒業しなければならない。1回目の受験で合格を果たしたが、入学直前に網膜剝離が判明。養成所に相談したところ、再受験するしかなく、目の手術を終えて再び受験を決意。2回目も合格して入学する運びとなった。「ボートレーサー以外、なにすんねんっていう感じだったし、今思うと、よう諦めへんかったと思いますね」。執念が実を結んだ。

 養成所を卒業すると、大阪支部所属の選手として2012年11月に住之江ボートでデビュー。しかし、成績不振が続いた。ネットには「日本一下手くそ」など、数多くの誹謗中傷が書き込まれ、心が折れそうになったこともあった。日本一に輝いた男が味わう屈辱。「レースに勝てない、勝てないからこそ悪口を言われる二重苦で…。自分からやめようと思ったこともあったんですけど、でも、他人の悪口のせいで自分の人生を左右されんとあかんねんっていう、最後の負けず嫌いが出て、続けたんです。そう決めたら、もう最後までクビになるまでやりきろうという気持ちになりました」。ボロボロになるまでボートレーサーを続けると誓った。

 それでも結局、1勝しか挙げることができず、2019年11月に引退を余儀なくされた。「結果的に言えば、ボクサーやっている時ほど真摯に競技に対して取り組めなかった、努力できなかった。そらクビですよね。それぐらいの練習しかしていないという感じでしたね」と受け止めた。

 覚悟はしていただけに、準備はしていた。「結婚して娘も1人いるので、引退してからいざ就職を見つけるとなるともう遅いと思っていたんで、引退後はリラクゼーションサロンを開こうと考えていました」。もともと整体に興味があり、選手生活の合間に大手サロンで研修や修行を重ねていた。自己肯定感が下がっていた時期だけに、実際に施術を行って「君、上手やね」と褒められ、人に認められる喜びを久々に味わった。「この業界に救われたようなところもありました」と話す。

 20年3月に南海高野線の堺東駅近くに開業して5年目。コロナ禍で客が全く来ず、赤字続きの日々もあったが、ようやく軌道に乗ってきた。「整体も白黒というか、施術を受けて体が楽になったか、なっていないかの2通りしかない業界なので、お客さまの反応もダイレクトなんですよね。大事な時間とお金を払って来てくださっているので、一人一人、ほんまに真剣勝負です」とやりがいを感じている。

 整体師として描く壮大なプランがある。「僕自身が整体を始めてしっくり来られたというのは、ボクサーの現役時代に体の使い方、体の仕組みとかを知っていたからこそと思うんですよね。スポーツに携わる方ってマッサージとか整体とかをすれば、絶対にうまいと思うんです。今後は店舗展開をしていきたいので、元アスリートの方が働くような、アスリートの整体師軍団をつくりたいんです。ひとつのブランドだと思います」。アスリートだからこその強みを生かせると考えている。

 もちろんニーズはあると肌で感じている。「新規のお客さまに来店理由を聞くと、『スポーツをやってはったんやから、体のことは知っているやろうし、体を楽にさしてくれるやろう』と期待を持って来られる方が多いので」。プロボクサーとして日本一になり、ボートレーサーとしてどん底を味わった。天国と地獄を見てきた男は再び輝きを取り戻し、大きな夢に向かって突き進む。

 ◆金光佑治(かねみつ・ゆうじ)1984年5月14日生まれ、40歳。大阪府堺市出身。2003年4月六島ジム所属のプロボクサーとしてデビュー。09年3月に日本ミニマム級タイトルマッチで10回KO勝ちを決めタイトル獲得も試合後に硬膜下血腫が判明したため、同年5月にタイトルを返上して引退。ボートレーサーに転向して12年11月に住之江ボートでデビューするも成績不振のため19年11月に引退。20年3月に大阪府堺市にリラクゼーションサロン『ほぐし屋KID』をオープン。

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