インバウンドに加え、国内からの観光客も含めてゴールデンウィーク中もにぎわう東京・浅草。明治から昭和の高度経済成長期前まで、日本有数の歓楽街として栄えた「浅草六区」も様変わりし、新たな商業施設が続々と生まれている。今年4月に54歳の若さで亡くなった曙太郎さんはこの街で体験した出来事を口にしたことがある。路上生活者に金銭の援助をして警察官に注意されたというエピソードだった。
大相撲で外国出身初の横綱となり、プロレスラーとしても活躍した曙さん。2011年7月から10月にかけて60回連載「第64代横綱の真実 曙道」をデイリースポーツ紙面で展開した際、そのキャリアや人模様を語る中で「こんなことがあったんですけど…」ポツリと漏らしたことがあった。
「前頭7枚目くらいの時、貴花田さんに勝って30万円ほど、懸賞金をもらったんですよ。当時、僕は浅草に行きつけの飲み屋がありましてね。ほんとに小ちゃい、20人くらいしか入れない店で、そこで音楽を聴きながら飲んだりしていてね。その懸賞金を懐に若い衆たちと飲みに行ったんですよ。外は大雨で、寒い冬の1日だった。たまたま、俺が店の外に出たら、オジサンがゴミの中を何か探していて、びしょぬれで寒そうな姿をしてたんですよ。目の前に牛丼屋さんがあって、その裏のゴミをあさってた。場所は映画館とか並んでる浅草の『六区』だったと思います」
曙さんの「前頭7枚目の時」というと、1990年の九州場所。西前頭7枚目だった曙さんは四日目に同12枚目の貴花田(後の横綱貴乃花)を下し、この場所は9勝6敗と勝ち越した。浅草でのエピソードは福岡から東京に戻った後の90年の暮れか91年の年明けか。日本のバブル景気末期で、当時の浅草は(外部から見ると)東京の開発に取り残された〝場末感〟があった。
取材時に曙さんが口にした「映画館」というワードに、浅草六区にあった邦画や洋画の旧作、成人映画などを安価の3本立てで上映していた映画館が頭に浮かんだ。取材当時はまだ存在していたが、翌年、再開発のため当時あった5館全てが閉館。今では、歴史のある演芸場や一部の飲食店などは残しつつ、すっかり様変わりして人気の観光地となっているが、曙さんが「ゴミをあさるオジサン」と出会った頃は、路上に腰を下ろしたり、横になっている人も見かけたものだ。
「あんまりかわいそうだから、貴花田さんに勝った懸賞金のお金を全部、オジサンに渡したんだ。『今日は、これで温かいもの食べて、暖かいところで寝といてください』って。お金を渡して店に戻ったら、10分か15分くらいして警察官が店に入ってきたんですよ。『ちょっと外に出てもらっていいですか』って警察官に言われて、何かと思って店から出たら、逆に文句言われたんですよ。『そういうことしたら本人のためにならない』って。『俺のお金だから、どうだっていいじゃないですか』と言ったんだけど、警察官は『いや、あまりよくないですよ』って言うんだ。そういうことがありました」
ホームレスに現金を渡すことの是非については、たびたびネット上などでも議論になってきた。曙さんは「ハワイで自分のオヤジや弟たちが困っていたら、ちょっとでもお金に余裕のある人に助けてもらった方がいいと思いますもん。俺らは小っちゃい時から、そうやって困った人を助けるのを見慣れてきたから、浅草でオジサンにお金あげたのも当たり前だとしか思わないんですよね」と語った。
ハワイで育(はぐく)まれた精神。日本では警察官に〝注意〟されてしまったが、その信念は揺るがなかった。「この話はこれまで何人かしか知らない話。『いいことした』とか、そんなことは、自分から言う話じゃない。あんなことが、昔、あったなぁ…って。相撲時代の思い出の一つです」。曙さんは、それ以上は語らず、そっと胸にしまった。