NHK大河ドラマ「光る君へ」第4回目は「五節の舞姫」。本郷奏多さん演じる師貞親王がいよいよ即位、天皇(花山天皇)となった回でした。ドラマにおいて、奇行と奇抜な発言で初回から話題を集めてきた花山天皇ですが、どのような人物だったのでしょうか。
花山は、安和元年(968)、冷泉天皇の第1皇子として誕生します。母は、太政大臣・藤原伊尹の娘・懐子でした。永観2年(984)、叔父に当たる円融天皇の譲位により即位。花山天皇の即位によって、政治の実権を握ったのは、藤原伊尹の息子(権中納言・藤原義懐)や、天皇の乳母の子(藤原惟成)らでした。当時の関白は、藤原頼忠でしたが、外戚(母方の親戚)ではなかったために実権を持っていなかったとされます。
さて、問題の花山天皇の人物ですが、一風変わった逸話で彩られているのです。『古事談』(鎌倉時代初期の説話集)には、御即位の日、馬内侍という女官が進奏(天皇に言上)したところ、花山天皇は内侍を高御座(天皇の座)に引き入れて「配偶」(性行為のこと)したとあります。
ドラマの中では、即位前の花山天皇が母娘双方と関係を持っていると語る場面がありましたが、それを彷彿とさせるようなエピソードです。平安時代の公卿・藤原実資の日記『小右記』にも、花山天皇の即位式(984年10月10日)に関する記述はありますが、前述のような「不適切」な逸話は記載されていません。ただ「王冠がとても重い」として、冠を脱がれたということは記されています。よって、馬内侍を高御座に引き入れて行為に及んだという『古事談』の逸話は後世に創作された可能性もあるでしょう。
花山天皇は、即位から約2年後(986年)に出家・退位し「法皇」となられるのですが、出家後も、藤原為光の娘(四の君)のもとに通っていたことは有名です。そうした好色な話があったことから、あることないこと付加されて『古事談』記載の逸話が誕生したと推測されます。