2023年は「忠犬ハチ公」の生誕100周年であった。銅像が建っている東京都渋谷区ほか、ハチ公のふるさとである秋田県大館市では、ハチ公関連のイベントや展示会が多数行われていた。
渋谷の忠犬ハチ公は飼主の大学教授が亡くなった後、およそ10年に渡り渋谷駅前で飼主の帰りを待ち続けた、という逸話で有名になった。ハチ公の伝説が日本全国で高い知名度を誇っていることもあり、日本全国にはハチ公に負けず劣らずの「忠犬」「名犬」に関する逸話が多数残されている。だが、一部を除いてハチ公以外の忠犬伝説のほとんどは世間から忘れられているのが現実だ。
今回ご紹介したいのは1970年代に千葉県千葉市に現れた「忠犬健太」のエピソードである。このエピソードは1977年(昭和52年)9月25日に発行された朝日新聞(全国版)にも掲載されている。
JR(当時:国鉄)総武本線都賀(つが)駅のホームにて夏ごろから1匹の犬が目撃されるようになった。その犬は4~5歳程度の雑種犬で毎朝6時から7時になると必ず駅前に姿を見せ、改札を通るとそのままホームへと移動し大勢の乗客を見送り、夕方頃になると再び姿を見せる…という生活を1か月に渡り送っていた。電車を見送る姿に愛嬌があったためか何時しかその犬は駅を利用する人たちの間で「健太」(俳優の高倉健と菅原文太に顔が似ていたため)と名付けられた。
健太は首輪をしていた事から元は飼い犬と思われるが、電車を見送っている事から「引っ越した主人の帰りを待っているのでは?」と噂された。だがその一方、保健所では野良犬である健太を保護するために動いていた。だが、保健所の噂を聞きつけた住民達は「かわいそうだ」「うちで引き取りたい」と健太の引き取り要望が殺到。最終的に健太は千葉県内に住む愛犬家の家に引き取られる事になったという。
以上が、千葉市内に伝わる「忠犬健太」の逸話である。突然いなくなった飼主を駅で待ち続け、いつの間にか地元住民から愛されていたという事実は、渋谷の忠犬ハチ公にも通じている。現在でも「健太」の事を覚えている人はいるのか、冬が近づいた2023年11月某日、筆者は健太が1か月飼主を待ち続けたという現場を訪ねてみた。
JR都賀駅は都心から1時間ほど、JR千葉駅から二つ先にある駅である。1988年(昭和63年)には千葉都市モノレールが開業し、昔ながらの単式ホームの駅とモノレール駅が併設された珍しい形状をしている。駅前には個人経営の喫茶店や居酒屋などが立ち並ぶ、古さと新しさが同居したベッドタウンとなっていた。
筆者は都賀駅近辺で昭和の時代から営業していると思わしき居酒屋や理髪店、市役所や駅の職員などに「忠犬健太について知っている事はないか」と尋ねてみた。だが期待とは裏腹に「そんな犬がいた事ははじめて知った」「さぁ知らないねぇ」「聞いた事が無い」といった反応ばかりであった。40数年前とはいえ新聞記事にもなった「忠犬」の話は地元では忘れられているようだ。唯一、都賀駅前近辺に数十年に渡り住んでいる80歳過ぎの男性のみが「そういえば、そんな犬の話を聞いた事がある」と話してくれたが、その男性も健太の動く姿を見た事は一度もなかったという。
なお、健太が千葉県で誰かを待っていた同時期、千葉県に隣接する茨城県では「忠犬タロー」がいた。「忠犬タロー」は1964年(昭和39年)から1981年(昭和56年)まで17年に渡りJR石岡駅で朝と夕方、飼主を待ち続けたという逸話がある。かつては地元住民にしか知られていない話であったが、近年では駅前に銅像が建てられたほか、2023年にはタローの逸話を題材にした映画が製作されるなど「ハチ公以外」の名犬も多数注目されているようだ。
「名前の残っていない」忠犬伝説はまだまだ日本に眠っている。