DDTプロレス「Ultimate Party 2023」が12日、両国国技館で行われ、赤井沙希が10年間のレスラー人生を終えた。2013年8月のデビュー戦と同じ会場で、坂口征夫、岡谷英樹と組み、丸藤正道&樋口和貞&山下実優組と激突。赤井は20分30秒、山下のスカルキックからの片エビ固めで敗れた。
ラストマッチで初対決となった丸藤の強烈なチョップを何発も受け、山下の蹴り、樋口のボディーブローの猛攻を幾度も耐えた。それでも樋口にはコーナーポストからフランケンシュタイナーを決め、山下にはケツァル・コアトル(変型ラ・マヒストラル)で3カウントに迫った。
ピンチは続き、リングに孤立してからは丸藤の頭部へのハイキック、樋口の頭突き、山下のとびヒザ蹴りでフォールされるもカウント3の寸前ではね返し、大「赤井」コールがわき起こった。フラフラになりながら、最後は山下のスカルキックで散ったが、温かい拍手に包まれた。
引退セレモニーではサプライズで、最も憧れの存在だったという新日本からWWEへと羽ばたいた中邑真輔のメッセージVTRが届き、腰を抜かすようにして感激した。高木三四郎社長からは、今後は裏方としてDDTに関わることを打診され、「自分でよければ今度はみんなを輝かせる側に回らせてください」と快諾した。
赤井は最後に、「とばさないように、絶対に伝えたいから」とファンに向けた手紙を読み上げた。
「10年前のここからの景色とは全然違って見えます。18歳で上京して、いつも独りぼっちでした。本音で言い合える、本気でぶつかり合える仲間はいませんでした。私自身が上辺だけの関係なら、ない方がマシと思っていたからです。けど、10年前、このチームの一員になって、皆さんと出会って、楽しかったり、むかついたり、喜んだり、一緒に涙したり、否応なしに感情が動かされるプロレス生活を送っていく中で、自分が一番欲しかったけど、諦めていたものを気付いたら手にしていました。どこかドライな私が、自分を犠牲にしてでも守りたいと思える仲間、DDTのみんな、いま見守ってくれるファンの皆さんです。弱くてダメな私に上辺ではない愛をくれたからです。本当の愛情を知りました」と、大きな感謝を口にした。
赤井は「私はDDTを、ファンのみんなを、いつしか仲間という思いを超え、家族と思うようになりました。皆さんが私にとっての家族なんです。このリングを降りたら、私は選手でなくなります。でも家族のつながりはどこで何をしていても切れることはありません。いつどんな時も、家族であるDDT、そしてファンのみんなのことを思い続けて生きていきます。これからも一緒に、心でつながりっていましょう。プロレスラー・赤井沙希の10年間は、本当に夢のような幸せな人生でした。皆さん、心から愛してます。本当にありがとうございました」と読み上げた。
引退の10カウントゴングを聞き、白い紙テープに全身を包まれた。「枯れて散る花でなく、美しく散る花でありたい」。引退会見で語った信念を最後まで貫いた。
バックステージでは対戦相手の丸藤が「気持ちが強かった。彼女はプロレスラーでした」と評価。「戦うことで可能性を増やしたい」という赤井の要望に応えてみせた。タッグパートナーの坂口は「今は振り返りたくないですね。今日の朝、なんなら半年前、1年前にも戻ってもらいたいくらい」と赤井の引退を惜しんだ。
半年間の引退ロードを終えた赤井は「次がないと思うとパニックになりそうだった」とリング前の心境を吐露し「大好きなDDTの一員として平常心でいようと、赤井沙希の美学を見せようと耐えました」と続け、リングで一緒になった5人にそれぞれ感謝を口にした。今後の復帰の可能性は完全に否定した。
元プロボクサーで俳優の赤井英和を父にもつが、幼少時に離婚。前妻となる母はこの日、会場で観戦していた。
母には「大きなケガなく無事に戻ってきました、と報告したい。父が試合でケガをする姿を間近で見ていたので、10年間心配させ続けてきました。自分の足で帰れることを報告したいです」と言葉を向けた。父には電話で、直接引退を報告したというが、「お疲れさま、でええんちゃうか」とそっけない返答だったという。
「現実は美談ではない。自分は電話して良かった。この思いがなければ、人に優しくできなかったし、DDTのみんなと出会えなかったかもしれない。この人生で良かった。血のつながりがなくてもDDTのみんなは家族です」
団体から発表された赤井のプロレス通算成績は662試合414勝239敗3分け6無効試合。美しい思い出、生きる自信を得たプロレス人生。晴れやかな表情で会見を締めくくった。