R-1優勝から3カ月 田津原理音の苦闘「手応えゼロ」 大失敗した収録後、クロちゃんからのLINEに一筋の光

藤丸 紘生 藤丸 紘生
作品展「どんな人生。」を開催する田津原理音
作品展「どんな人生。」を開催する田津原理音

 今年3月にピン芸日本一決定戦「R-1グランプリ2023」で優勝した田津原理音(30)が自身初の作品展「どんな人生。」(6月24日~7月2日、大阪・LAUGH&PEACE ART GALLERY)を開催する。夢にまで見たR-1優勝。しかし、直後の会見では「平場が銀河一弱い」と不安を吐露していた。あれから約3カ月、平場に立ち向かう田津原にその苦闘と転機となった番組、共演者からの助言などを聞いた。

 一夜にして真っ黒に埋まったスケジュール。拠点の大阪で劇場やテレビの仕事に明け暮れ、たまの休みもネタの小道具作りなどに費やす。月に10日ほどは東京に移動し、番組収録で初対面の先輩芸人やタレントらと共演する日々。R-1優勝がもたらした多忙で華やかな毎日の裏側で、田津原は新たな悩みを抱えていた。

 「(優勝直後は)アドレナリンが出まくって浮かれた状態で突っ走れていたので良かったですけど、今は少し冷静になってきて結構大変ですね。今まで考えなくていい悩みだった。ネタのことしか考えなくていいってだいぶ楽やったんやなって」

 悩みの種は、もちろん優勝直後の記者会見で告白した「平場が銀河一弱い」という弱点に関係している。東京の仕事では、その“平場”と何度も対峙(たいじ)することになった。3カ月たったが「相変わらず平場が銀河一弱いんだと痛感させられてます。手応えのあった仕事がゼロなんです」と苦笑い。R-1王者として有名番組に出演する、いわゆる“番組を一周”している状況だが「まだ半周もしていないと思うんですけど、このままだと一周回る前に止められるんじゃないか」と危惧するほど手応えをつかめていないという。

 自虐的に「平場が銀河一弱い」と訴え続けているが、東京の共演者や制作陣には「いまいち伝わりきっていない」と分析。「(周りが想定している弱さに対して)いやいや、そんなもんじゃないよ、もっと弱いですよと言いたい」と力説した。

 それでも、果敢に前へ出ることだけは心に誓っている。そのきっかけとなったのは、フジテレビ系「さんまのお笑い向上委員会」に出演した時のこと。MCの明石家さんま(67)ら歴戦の猛者に囲まれ「手応えどころか、何もしゃべれなかった」と回想。前に出てうまくいかなかった時とは比べものにならないほどの無力感が全身を襲ったという。「ショックでしたね。どんなにスベっても、せめて前に出れば良かった」と後悔。「それ以降、自分の精神的な健康のために前に出よう」と覚悟を決めた。

 覚悟は決まっても、すぐにうまくいくほど甘くはなかった。それでも、もがいた先に一筋の光が見えたのは、東海テレビ「千原ジュニアのヘベレケ」に出演したときのこと。千原ジュニア(49)らと酒を酌み交わすトークバラエティーだが、田津原いわく「2時間ぶっ通しで間違え続けて、どうにもならなかった」と散々な出来。肩を落とす家路のさなか、その収録に参加していた安田大サーカス・クロちゃん(46)からLINEが送られてきたという。「『めっちゃ面白かったよ。空気読めない感じがめっちゃ良かったから、それでいいよ』って送ってくださって。平場を全部ミスった時に『それでいいよ』と言われたのは初めてでしたね」と明かした。

 クロちゃんの言葉で差し込んだ一筋の光。しかし、いまだ東京での仕事に手応えがないのも事実。それでも「これからも出演していきたい、このままでは終われない」と息を巻く。慣れない平場に果敢に飛び込み、失敗を繰り返しながら、徐々に実力をつけていく―。そんな未来図を描いているかと思えば、それは少し違うらしい。

 「平場は強くなりたいです。でも、根本のイタい部分は変えられない。R-1だけでは僕の人間性の部分は全然伝わっていない。だから(視聴者に)僕の人間性や楽しみ方が伝わるところまで頑張りたい。スベるもんだと思っていただかないと。何かの間違いでおいっ子がテレビに出ていると思って温かく見守ってほしい」

 平場が銀河一弱いという短所。それが代名詞であり強みに変わるまで田津原は前に出続ける。

 ◆田津原理音(たづはら・りおん)1993年5月25日生まれ。奈良県橿原市曽我町出身。吉本興業所属。「M-1グランプリ2008」がきっかけで漫才師に憧れを抱き、2012年にNSC35期に入学。卒業後ほどなくピン芸人となり、フリップネタで頭角を現す。23年、フリップを発展させたトレーディングカード開封ネタで「R-1グランプリ2023」優勝。特技は写真撮影、ポスターデザイン、イラスト。身長175センチ。血液型B。

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