ピンク・レディー曲を再構築、未唯mieがライブ盤 表現者として開眼、亡き恩人「ポンタさん」に感謝

北村 泰介 北村 泰介
和の衣装でステージに立ったピンク・レディーの未唯mie。現在はライブ活動に重点を置き、表現者として音楽性を追求する
和の衣装でステージに立ったピンク・レディーの未唯mie。現在はライブ活動に重点を置き、表現者として音楽性を追求する

 1970年代後半に社会現象を巻き起こした女性デュオ「ピンク・レディー」の未唯mieが7日、CDとDVDを組み合わせた3枚組ライブ盤「新春〝Pink Lady Night〟」を発売する。ピンク・レディーの代表曲に大胆なアレンジを施して再構築し、26人の一流ミュージシャンによる演奏が展開されるライブ作品の発売を前に、未唯mieがよろずニュースの取材に対して思いを語った。

 未唯mieは2010年に毎月、趣向の違うプロデューサーによるライブを半年間行ったが、その一つだった「ピンク・レディー・ナイト」をその後も毎年開催。10周年記念となる20年1月の東京・日本橋三井ホールでのライブを収録した。パーカッション奏者・仙波清彦が率いる総勢約20人の和楽器を中心としたミュージシャンによる演奏と、キーボード奏者・久米大作の奇想天外なアレンジでピンク・レディーの15曲が生まれ変わった。未唯mieのトーク、さらにインストゥルメンタルとして一聴の価値のあるカラオケもCDに収められ、DVDには10曲のピンク・レディーナンバーが収められた。

 デビュー曲の「ペッパー警部」(76年)は変則的な5拍子にアレンジされ、「渚のシンドバッド」(77年)にはビーチボーイズの名曲「グッド・ヴァイブレーション」のフレーズが絡み、「透明人間」(78年)にはキング・クリムゾンとディープ・パープルの代表曲が融合。「サウスポー」(78年)は音頭のリズムと民謡調のボーカルがはまった。笛や大鼓、小鼓などの和楽器をはじめ、インドのタブラ、韓国のチャンゴ、西アフリカ発祥のジャンベ、ラテン音楽で使われるコンガやボンゴといったワールドワイドな打楽器隊のアンサンブルも壮観だ。

 未唯mieはビッグバンドのボーカルとして本領を発揮。「ピンク・レディーの楽曲を、私が大好きな(仙波率いる)『はにわオールスターズ』みたいな感じで…とお願いしまして、仙波さんも『えっ、そんなメチャクチャなことしていいの?』という話の中から実現しました」と振り返る。

 そして、この10数年間、心強い存在となっていた人物が、日本を代表するドラム奏者の村上〝ポンタ〟秀一さんだった。

 「ポンタさんにはピンク・レディー再結成ツアーのファイナル(05年)に参加いただいて、『未唯mieちゃんがライブするなら応援するよ』と言ってくださり、翌年からメンバーを集めていただいて、そこから私のライブ活動が始まるんです。それまでエンターテインメント的な音楽との関わりだったのですが、もっと音楽の神髄に関わっていきたい、お客さんに音楽自体を楽しんでいただきたい、自分自身の音楽性を追求したいという気持ちになっていきました。今の私がいるのはポンタさんのおかげです」

 村上さんは昨年3月に70歳で亡くなった。「この10周年のライブがポンタさんの最後になったんです。その翌年からどこのライブにも出られてなかったので」。今作には恩師による最後のドラム演奏も収録されているだけに、思いはひとしおだ。

 ミイとケイ(増田恵子)のピンク・レディーとして76年にデビュー。「ピンク・レディーは台風のごとく、嵐の中を走っていた感じでした。活動期間は4年7か月だったといえども、何十年にも匹敵するような、たくさんの経験をさせていただいた」。子どもたちに支持されて大ブームを巻き起こしたが、79年の米国進出で大人の女性シンガーとしての路線に方向転換。今作にも、ビルボード全米チャートで37位に入った英語詞の曲「Kiss In The Dark」や、国内向けでもターニングポイントとなった曲「マンデー・モナリザ・クラブ」などが迫力のある演奏で収録されており、当時の国内では一般層にまで浸透しきれなかったピンク・レディー後期の魅力も伝わってくる。

 「当時は楽曲と振り付けと衣装が三位一体の表現としてあって、内容を深く考えることまではそんなになかったような気がしますが、こうしてアレンジを変えることによって、メロディーや詞の世界観が全然違った形で見えてきます。ピンク・レディーの楽曲自体が奥深くてすごいんだな、素晴らしい音楽を私たちはもらったんだなと改めて思います。聴いていただく方にもそこを感じてほしいです」

 81年の解散後にソロデビュー。阿木燿子と宇崎竜童コンビと共作したファーストアルバム「I MY MIE」、主演映画「コールガール」(82年公開)のサウンドトラック、84年に大ヒットした「NEVER」と順調に滑り出した80年代からのソロ活動に比べ、「ここ15年くらいのライブ活動はまた密度が違う」という。

 「芸能人というよりは『表現者』になりたいですね」。その言葉に、独自の音楽性を追求する現在進行形の思いが集約されていた。

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