NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第45回「八幡宮の階段」では、公暁が三代将軍の源実朝を暗殺する衝撃的な場面が描かれました。実朝暗殺には「黒幕」がいるのではないかとの説は昔から囁かれています。有力御家人・三浦義村(公暁の乳母夫)もその1人ではあるのですが、これまで最も疑われてきたのが、執権・北条義時でした。
「この暗殺事件を俯瞰で捉えたとき、やはり義時の深い関与があったと私は考えます」(本郷和人『承久の乱』文春新書、2019年)と述べる歴史家もおります。実朝が朝廷に接近したことに不信を募らせた義時が実朝暗殺の黒幕だったというのです。
しかし、私は北条氏黒幕説には懐疑的です。その理由は、子供のいない将軍・実朝の後継を、後鳥羽上皇の皇子からというのは、北条政子も尽力して、成立していました。つまり、北条氏が主導していたのです。また、実朝が暗殺されてからも、幕府(義時)は、親王を鎌倉に迎えたいとの意向を上皇にあらためて示しています(『吾妻鏡』1219年3月15日)。義時が、実朝の朝廷接近に反感を持っていたならば、このような意向を示すでしょうか。これ幸いと、親王将軍の話はなかったことにするのではないでしょうか。しかし、義時はそうはしませんでした。よって、義時に、朝廷に接近しすぎたとして、実朝を殺す動機はないのです。
実朝が将軍として実権を握っていたから殺そうとしたとの説もありますが、それはどうでしょうか。殺意があるなら、もっと早く実朝を殺すこともできたはずです。私は「実朝暗殺」に謎や黒幕はなく、公暁の単独犯行という考えをとります。鎌倉殿になる野心と、北条氏に父・頼家を殺された恨みを抱き、公暁は実朝と義時を殺そうとしたのです。乳母の夫の三浦義村なら自らに味方してくれると踏んだのかもしれませんが、それは甘い計算でした。
公暁の野心と怨恨は、果たされず、虚しく潰えたと言えましょう。頼家を殺したのは、実朝ではなく、北条氏です。義時は殺されることはなかったので、その意味で、仇討ちの目的を達することはできませんでした。
それにしても、頼家に続き、またも息子を失った母・北条政子の悲しみと苦しみは、どれほどのものだったでしょう。政子は、娘の大姫や三幡も病で亡くしていました。実朝の死について語っている政子の言葉が、承久の乱を描いた軍記物語『承久記』に載っています。
「子供たちの中でただ一人残った右大臣殿(実朝)を失った時は、生きている甲斐がないと思いました。浮世を生きていかねばならぬのが耐え難く、淵瀬に身を投げようとさえ思い立ちました」(『承久記』)
自殺をも考えたという政子。しかし、彼女は死なず、幕府の更なる困難に今後も立ち向かっていく事になるのです。