チアとリーダーが楽器も兼任!異色の名門大応援団2年ぶり有観客ステージ コロナ禍の葛藤の末に

山本 鋼平 山本 鋼平
一橋大応援部のステージより
一橋大応援部のステージより

 一橋大学体育会応援部は17日、八王子市芸術文化会館で有観客ステージを開催した。学ラン姿で力強く全身を躍動させるリーダーと、華やかなコスチュームとダンスでステージを彩るチアリーダーが、楽器演奏を兼任する唯一無二のスタイルで知られており、コロナ禍以降では、初めて多くの観客を前に力を出し尽くした。卒業を控える4年生にとって、最後の大舞台だった。

 リーダー9人、チア12人。緻密かつパワフルな演舞、激しくかわいらしいダンス、声を張り上げ21人の部員が一つになった。年間最大の見せ場である11月の学園祭。2年連続で有観客が叶わなかったことで、部員たちが今ステージ開催へ動いた。陽性者数の減少などコロナ禍がやや落ちついたことで、実現にこぎつけた。家族、体育会部員や一般学生、他大学の応援団から温かいまなざし、拍手、マスク越しに可能な限りの声援を送られた。2年生部員は「こんなにたくさんの人の前で応援できるのは入学して初めてです」と声を弾ませた。ステージ名「マーキュリーの下に『響け、我が無二の想い』」には、一橋大の校章に描かれるローマ神話の商業、学術の神メルクリウス(マーキュリー)の杖と、今年度応援部が掲げるテーマ「響想」を反映させた。

 植田悠真主将(4年、アルトサックス)は「僕らは応援しているのに、逆に見てくださる方から応援されているんだと改めて分かりました。コロナ前にはあったステージの形、その喜びを後輩に伝えられて良かった」と感慨深げに語った。浅野真由チアリーダー長(4年、アルトサックス、ドラム)は「コロナで応援などの楽しい活動はできないのに、練習はほぼ毎日のようにあって後輩には大変な思いをさせました。ですが今日、後輩が心からステージを楽しんでいる姿を見て、幸せに満ちあふれました」と振り返った。

 独特の応援スタイルは、1977年に演奏に専念するため応援部から吹奏楽が独立し、1980年に楽器の兼任が始まったことで生まれた。楽器演奏は初心者が大半だが、チアとリーダーが一緒に練習し、技術を磨いてきた。植田主将は「僕たちのアイデンティティです」と胸を張る。同部では初の女性リーダーだった伊東美優副将(4年、トランペット)は「最初は女性だから、と注目されましたが、2年生になってからは一人のリーダーだと、私も周囲も特別には考えなくなりました。リーダー、チアが常に活動を共にし、全員が楽器という表現方法を持ち合わせた一橋大でなければ、応援部にも入らなかったと思いますし、4年間続けられなかったと思います。まだ引退の実感はありませんが、一橋大学体育会応援部が好きだということを気づかせてくれました」と、4年間の活動に思いをはせた。

 コロナで大学生活が一変した。2019年秋には、主に東都大学野球リーグに所属する大学で構成される応援団フェスタで最優秀団体賞に選出された。トランペット、アルトサックス、トロンボーン、ユーフォニアム、ドラムに続く6番目の楽器にスーザーフォンの導入が決まっており、20年2月の応援部合宿では次シーズンに向けた練習を本格化させた。そして春、日本が新型コロナに襲われた。

 大学授業はほぼオンライン。いち早くオンライン新歓などネットを活用した。現2年生部員は7人残っている。オンラインで振りやダンスは練習できたが、楽器はできなかった。秋になって初めて部員全員で顔を合わせた。ただし秋シーズンは運動部を応援する機会はオンラインのみ。試合会場にはSNSを通じて動画を送ることが精いっぱいだった。それでも、対外試合が可能だった体育会運動部の練習場所に出向き、エールや演舞を披露する激励会を開くなど、懸命に前を向いた。

 今年の春、部の活動に悩み苦しんだ。1年生はいない。植田主将は「部員同士で応援に対する思いがバラバラでした。僕ら4年生は2年間、対面で応援ができていました。3年生は1年間、2年生はゼロ。応援の素晴らしさを伝える上でギャップがありました」と話す。春シーズンは準硬式野球以外、応援部の来場は禁止された。オンライン応援を継続したが、競技会場に入れず、応援部の存在意義があやふやになった。先が見えない中、部員同士で徹底的に話し合った。「その場所にいなくても、ここにいるんだという意義がある。だから応援部は続けなければならない」。観念的だが確固たる共通認識ができた。

 バレーボール、ハンドボールなど部内紅白戦が行われる体育館で応援を行った。リーグ戦開幕前は、前年に続き激励会を行い、これまで縁がなかった運動部との交流に着手した。秋は硬式野球、準硬式野球、ラクロス、アメフトは現地で応援できるようになった。有観客だが応援はできないアイスホッケーなどは、観戦だけでも会場に出向いた。できることを懸命に探し、実践してきた。

 植田主将は来年3月に卒業する。「この2年間は本当にいろんな意味で、自分は成長しなければならないと気づかされました。コロナに重なってしまって難しいことが多かったですが、この2年間に価値はあったと、今は思えるようになりました」。大舞台を終えた主将の顔には柔らかな笑みが広がった。「昨晩は泣いてしまうのではないかと思いましたが、本当に楽しかったです。そして、改めて応援部が好きだと気づきました」。かみしめるように、そう言った。

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