血液のがんを乗り越えて活動する歌手の中山圭以子が、自身のインスタグラムに「私が歌う理由」と題して思いをつづった。
2012年に血液のがんが発覚。現在は移植治療を経て、余命1カ月から生還した闘病の体験から現在は啓蒙活動にも力を注いでいる。8日の更新で「私は、血液がんサバイバーです。 最初に病気が見つかったとき、息子はまだ3歳でした。 原因がわからず病院を転々とし、8軒目でようやく診断がつきました。」と振り返る。
「がんの原発部位は扁桃。 歌手にとって命ともいえる声を失い、ついには筆談でしか意思を伝えられなくなりました。」と当時の状況などを説明。8クールの化学療法を経て寛解するも母親の体調悪化と育児に追われる日々が続き、さらに右手には痛みとしびれが残ったことも明かした。
主治医からは抗がん剤の副作用とされ、「仕方なく左手だけで食事をし、幼い息子と歩くときは、手をつなぐ代わりに私の服を握らせていました。」という。筋肉の硬直や萎縮に脱毛など後遺症を抱えながら日々を送っていたなか、母親の死去後に激痛やしこり、高熱など身体に異変が。再開した歌の仕事も思うようにいかなくなったと回顧する。
検査では明確な答えが出なかったものの、実際には再発。より声が出なくなり、食事も困難に。不安や恐怖、孤独感にさいなまれた末に、音楽と距離を置こうとしたこともあったそう。「やがて、その恐怖は少しずつ、ある覚悟へと変わっていきました。 私は、長年大切にしてきた大量のCDや楽譜を処分することにしました。 好きで、好きで、たまらなかった音楽。 その音楽を、自分の目の前から消そうとしたのです。」と記した。
また、幼い息子に「一人でも生きていけるように」と「母親として、今の自分にできることを、少しでも残しておきたかったのです。」と料理や掃除を教えていたことも告白。そして激痛で救急搬送された結果、告げられた余命は「わずか1ヶ月。 その1ヶ月さえ、持つかどうかわからない状態でした。」とし、セカンドオピニオンもままならなかったという。
「移植治療を受け、私は奇跡的に生還しました。 10年間の経過観察を卒業し、もうすぐ13年になります。 あのとき手放したはずの音楽を、今、私はまた歌っています。 声を失った人間が、再び歌っている。 それは、私にとって決して当たり前のことではありません。」と思いを吐露。「何かを失っても。 何かをあきらめようとした日があっても。 その先には、まだ未来があるということ。」と記した。
つらい経験を乗り越えて今がある。「歌えることは、私にとって大きな恵みです。 けれど、私が歌い続ける理由は、それだけではありません。 私の歌が、誰かの心にそっと寄り添えたら。 たったひとりでも、 『もう少し、生きてみよう』『もう一度、歩いてみよう』 そう思ってもらえたなら。 それほど幸せなことはありません。」とつづり、「私が歌う理由。 きっと、それは、 今、いろんなことで闘っている あなたがいるから。」と結んだ。
中山は80年に中山圭子名義で「パパが私を愛してる」で歌手デビューし、81年にはTBS系日曜劇場「娘の日」に主演するなど女優としても活躍。82年に中山圭以子に戻し、84年から88年までNHK教育(現Eテレ)の「なかよしリズム」では歌のおねえさんを務めた。父はTBS系「水戸黄門」などテレビや映画、舞台などで活躍した俳優の故佐竹明夫さん。