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大河ドラマ「豊臣兄弟!」茶聖と称された千利休の若き日の苦難とは? 識者語る

よろず~ニュース編集部 よろず~ニュース編集部
吉岡秀隆
吉岡秀隆

 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第38回は「和を以って大和をなす」。千利休―侘び茶の大成者として知られ「茶聖」と称される人物ですが、その利休を「豊臣兄弟!」では吉岡秀隆さんが演じます。その生年は大永2年(1522年)とされ、豊臣秀吉の15歳年上となります。

 利休の祖父は田中千阿弥という人であり、その生まれは山城国。室町幕府8代将軍・足利義政の同朋衆(将軍の近くで雑務や芸能にあたった人々)でありました。千阿弥は義政の茶同朋であったと言います(義政に近侍して茶事を掌った)。応仁の乱の勃発を契機にして、千阿弥は堺に逃れますが、その後、帰洛。義政の子・足利義尚(9代将軍。母は日野富子)に仕えます。

 しかし、義尚が陣没(1489年)した後、千阿弥は再び堺に戻り余生を送りました。この千阿弥の子が与兵衛であり、利休の父となります。与兵衛は父・千阿弥の「千」の字をとり「千」を名字としました。与兵衛は堺の商人となります。商売は魚屋をしていたとされます。

 与兵衛の長男として生まれた利休は、茶の湯を好み、その大成者となるのですが、何歳の頃から茶の湯を学んだのかはよく分かっていません(16、17歳の時にこれを学んだとも伝えられています)。父の与兵衛は天文9年(1541年)に亡くなります。利休19歳の時でした。祖父・千阿弥もそれに前後して亡くなったと考えられています。

 祖父の七回忌は利休が行うことになるのですが、「緑苔墨跡」によると無財のため十分な法要を行うことができなかったとのこと。ただ夕日に向かい、泣きながら墓掃除をするのみだったと言います。これを誇張表現だとする説もありますが、家もそれほど裕福ではなく、父を亡くして、家業も不得要領であったのだから、盛大な法要を営むことができないのは当然との見解もあります。

 利休が茶の湯を学び出したのは先述のように17歳の頃。利休が高額な茶器を購入したため、それで千家の台所が苦しくなったとの興味深い推測もあります(橋場日月「若き千利休の散財ライフと財政支えたエコシステム 茶道マネーのエトセトラ⑤」『Wedge ONLINE』2022・6・9)。

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