大河ドラマ「べらぼう」第46回は「曽我祭の変」。寛政の改革を推進した松平定信は寛政5年(1793年)に老中を退任する事になりますが、厳粛な言論統制を含む改革は多くの人々に不満を溜め込む事になります。老中退任後、定信の周辺で怪奇現象が複数起こった事がありました。
それを記述しているのが『牋策雑収』(下級幕臣・植崎九八郎政由が書いた意見書)なのですが、それによると先ず、定信には妾(側室)が5人おりましたが、その中の1人は落雷により死亡。もう1人は病により亡くなってしまいます。驚くべきはそれからで、亡くなった妾2人の死体が3日経ってから急に動き出し、立ち上がったというのです。余りの事に定信の家の奥向きの女性たちは震え上がったと言います。
しかし不思議な現象はまだ続きます。これまで見た事もないような名も知らぬ虫が夥しい数飛来したのです。定信の家の人々は、それら無数の虫を打ち払おうとしますが、虫は立ち去る事はありませんでした。虫の次は雀が飛来してきます。しかもこれまた夥しい数。雀たちは障子や襖をついばみ、破りました。
その年(1802年)の5月1日に定信は江戸城に登城する事になっていたのですが、その登城を前にしての複数の怪奇現象に定信の心中は穏やかではありません。何か良からぬ事が起こるのではないかと心配になった定信は常日頃、家に出入りしていた僧侶に祈祷を依頼。祈祷は登城の前夜に行われました。そしていよいよ、登城の日。定信は登城し、用事を済ませて、退城する事になりました。何事もなかったと定信はホッとしていたかもしれません。
しかし、信じられないような出来事は定信が玄関を出た時に起こったのです。幕臣(横田甚右衛門)に仕える足軽が大勢の人々を押し除けて現れ、定信の顔を指差し「あいつを見ろ、世の中を悪しく致したるは、あいつにて、ばかなるやつ也」などと悪口を吐いたのです。植崎はそれを「前代未聞の珍事」と記述しています。陰でコソコソ権力者の悪口を言う事はあっても、高位の者(定信)に対し、その近くで前述のような「馬鹿な奴」などという罵声を下位の者が浴びせる事はこれまで聞いた事がなかったからです。数々の不幸と怪奇現象、そして前代未聞の珍事。享和2年(1802年)は定信にとって散々な一年となったのでした。