クラシック音楽好きだった長嶋茂雄さん、ステーキ焼いて振る舞ったルーキー時代 ベテラン女優が秘話明かす

北村 泰介 北村 泰介
プロデビュー戦で国鉄・金田正一投手から4打席連続三振を喫したルーキー時代の長嶋茂雄さん(右)=1958年4月5日、後楽園球場
プロデビュー戦で国鉄・金田正一投手から4打席連続三振を喫したルーキー時代の長嶋茂雄さん(右)=1958年4月5日、後楽園球場

 高度経済成長期の日本において国民的スーパースターの一人だった〝ミスター・プロ野球〟長嶋茂雄さん(享年89)=巨人軍終身名誉監督=が都内の病院で肺炎のため死去したことが3日公表された。その人柄を偲ぶ数々のエピソードが報じられている中、立教大から巨人に入団した1958年のルーキーイヤー、長嶋さんが垣間見せた素顔をベテラン女優から聞いたことがある。その逸話の一部を紹介する。

 2021年7月下旬、都内の映画館で行われた女優・鰐淵晴子のトークショーを取材後、控室で長嶋さんの話になった。ちょうど東京五輪が開催されていた頃。開会式(同23日)で長嶋さんが聖火ランナーとして登場し、改めて注目されていた時期でもあった。

 鰐淵は1950年代に天才バイオリン少女として脚光を浴び、60年代から松竹映画の主演級女優として人気を博した。父は世界的なバイオリニスト・鰐淵賢舟氏で、母はウィーン出身でハプスブルグ家の末裔となるチター奏者。その美貌からアイドル的な存在だった鰐淵が13歳の頃、9歳年上である巨人の大型ルーキーと出会った。

 「当時、私は多摩川沿いに住んでいまして、巨人の練習グラウンドが近くにあったのですが、父と散歩していると、まだ入団して間もない長嶋さんがお声をかけてくださった。『鰐淵賢舟さんですよね。僕はクラシック音楽が大好きで、お父様のバイオリンをよく聴くんですよ』ということで、後日、長嶋さんのご自宅に父と共に呼んでいただきました」

 長嶋さんが声を掛けたのは、アイドルの娘ではなく、バイオリン奏者である父の方だった。〝ミスター〟が実は「クラシック音楽好き」という一面が伝わる話だ。

 さらに、長嶋さんは手料理も振る舞ってくれたという。

 鰐淵は「ご自分でお料理をされるんです。フライパンでお肉を焼いて、『これ、僕の昼食なんだけど、食べます?』と、私たちの分も焼いてくださった。ステーキにサラダとご飯。とてもおいしかった。ざっくばらんで楽しい方なんですよ。今もあの日のことはよく覚えています」と懐かしそうに振り返った。

 多くの人に愛された長嶋さん。その人生で出会った人の数だけ、かけがえのない「思い出」を残した。

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