タレントで著作家、元参議院議員の水道橋博士(62)は2023年1月に鬱(うつ)病で議員を辞職したが、昨年8月、ライブ活動に復帰すると共に、興行を主催する「興行師」にも転身した。2月に都内で開催された〝伝説の呼び屋〟康芳夫氏(昨年12月死去、享年87)を「偲ぶ会」に発起人の一人として参加した水道橋博士が、よろず~ニュースの取材に対し、現在の活動について語った。(文中一部敬称略)
康氏が関わったモハメド・アリVSアントニオ猪木戦、未知の生物と称された「オリバー君」の来日はいずれも1976年。水道橋博士は多感な「14歳」となる中学2年だった。高校生だった79年には、猪木とウガンダのアミン大統領との対戦をぶち上げた康氏、同年に公開された映画「太陽を盗んだ男」の長谷川和彦監督、さらに翌年の漫才ブームで台頭するビートたけしが後を追う対象となった。
「 (故郷の岡山県倉敷市から)東京に行って長谷川和彦監督の元で映画をやるか、たけしさんのところに行くか…と考えながら、康さんについても雑誌記事などの資料を国会図書館で全てコピーして集め、22-23歳の時、(東京の)四谷にあった康さんの事務所を訪ねて資料をお見せすると『好きだね』と言われ、その後も交流が続き、銀座にも飲みに連れて行ってくださった。23歳でたけしさんに弟子入りしましたが、長谷川監督の次回作はずっと気にしてきたし、康さんとは近年まで直接、お会いする機会があったので亡くなられた気がしないです」
現在は元たけし軍団のメンバーらが設立した事務所「TAP」に所属しつつ、興行会社と個人出版会社、芸能事務所の「虎人舎」を立ち上げ、主に都内でイベントを主催している。
「僕は昔から相撲の『勧進元』とか『席亭』とか『呼び屋』や『興行師』に関心があって、康さん、(その師となる)神彰さんもそうですし、ウドーの有働さん(※多くの大物海外アーティストを招へいした「ウドー音楽事務所」の創業者・有働誠次郎氏)とか、映画やプロレスやお笑い等の興行のことを書いた本を好んで読んでいました。結局、自分で興行主になりたかったんでしょうね」
そう自己分析した水道橋博士。近況について、「今は主に高円寺(東京)のライブハウスで、自前で定期興行を打ちますし、たけしさんや僕もかつて修行したフランス座の浅草東洋館でも定期的に自主興行を打っています。今では吉本興業の東野幸治さんや千原ジュニアさんも出てくださっています。自分が興行をやるようになったのは完全に康さんの影響だと思いますね。自分の貫目、貫禄では無理だと思うような相手とギャラ交渉を重ねて、招へいを実現させ、そして僕の場合は自分で出たいというのもあります」と明かした。
玉袋筋太郎(57)とのコンビ「浅草キッド」としての活動は休止状態。40歳の年齢差がある放送作家・若林凌駕(23)とのコンビ「14歳」を結成して舞台に上がる。今年8月で63歳になる水道橋博士は「(岡山大学教育学部附属)中学の同級生だった甲本ヒロトがザ・ハイロウズの時に作った『十四才』という曲が好きで、相方(若林)は千原ジュニアの(自伝的小説)『14歳』を読んで放送作家になったから、このコンビ名なんです」と由来を説明した。
偲ぶ会には、康氏とも深い縁のある生誕100年の文豪・三島由紀夫のTシャツを着て登場。「オリバー君の世話をした」という司会のテリー伊藤(75)との秘話で盛り上がった。
放送作家として参加した日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」や浅草キッドの知名度が広がったテレビ東京系「浅草橋ヤング用品店」の総合演出を担当した縁のある伊藤を相手に、冒頭から「芸人は『飲む、打つ、買う』の三拍子と言いますけど、僕は『鬱』だけしかやっていない芸人です」とギャグを飛ばした。その上で「鬱の時は声が出ませんでしたが、今はしっかり出るようになりました」「漫才師と興行師の二刀流です」と近況を説明。〝再出発〟への思いを新たにした。
3日には芸人・三又又三(57)、大久保佳代子(53)をゲストに迎え、都内の浅草フランス座演芸場東洋館でイベントを開催。「興行」に対する思いは、康氏が仕掛けた破天荒な企画の洗礼を受けた「14歳の原点」から連綿とつながっている。