漫才コンビ・囲碁将棋の文田大介と根建太一がこのほど、大阪市内でよろず~ニュースの取材に応じた。単独ライブ2024「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」を12月1日に大阪・なんばグランド花月、12月28日に東京・ルミネtheよしもとで開催。コンビ結成20年の実力派が、ライブにかける思い、コンビについて語った。
なんばグランド花月では昨年に続いて2回目。文田は「満員のNGKで単独ライブをしたいというのは漫才師の一つの夢だと思うんですけど、昨年はギリギリ埋まらなかったのもあって、今年は埋めたいという気持ちと、いろんな人に見てもらいたい」と意気込めば、根建も「簡単にNGKで単独ライブできないので、毎年やれるように。東京でもそうですが(観客に)また来たいと思ってもらえるようなライブにしたいですね」と気合が入っている。
初めてなんばグランド花月の舞台に立ったのはデビュー4年目の16年前。文田は「今は、ほぼないんですけど、当時は関西弁じゃないだけで、ウケない空気があって…。自己紹介は笑っていただいたんですけど、ネタに入ったあとは全くウケなくて。滑ると言うより、事故でしたね」と振り返る。悔しさのあまり、帰りの新幹線ではタバコも吸わないのに、当時車内にあった喫煙ルームでずっと立っていた。根建も「ネタに入った瞬間に、もう(反応が)ゼロでしたね。マジ、事故」とうなずいた。
その後10年間は呼ばれることはなかったが、キャリアを重ねて再び声がかかった。根建は「いろいろな仕事をさせてもらってから出させてもらったので、お客さんとの距離とかを勉強してから帰ってきた感じでしたね」と成長した姿を見せることができた様子。文田も「笑いのツボは(関東も関西も)そんなに変わらないと思いますが、大阪の方が個々の笑い声が大きい気がしますね」と以前と違う客席からの反応を感じ取っていた。
お笑いを目指したきっかけは、とにかく有名になりたいと思っていた文田が「お笑い芸人っていいなあ。なんかやれそう」と根建を誘ったことだった。高校、大学の同級生。2人は大学4年生の時ににインディーズのお笑いライブに出演したこともあって、根建は「20歳ぐらいの時に『大学を卒業したら、何かあったら、やろうぜ』みたいな感じで言ってくれてはいたんですけど…」と戸惑いながらも、就職活動を途中でやめて誘いを受け入れた。
NSC東京9期生として入学。コンビ名の由来は高校時代に在籍していた囲碁将棋部から、インディーズ時代にライブ出演のために仮で付けた名前だが、そのまま使用している。東京の同期にはハリセンボン、囲碁将棋、菅良太郎(パンサー)、しずる、ライス、サルゴリラ、関西で同期にあたる大阪26期生にはかまいたち、河井ゆずる(アインシュタイン)、天竺鼠、バイク川崎バイク、藤崎マーケット、山名文和(アキナ)、水田信二(元「和牛」)、川西賢志郎(元「和牛」)などそうそうたる顔触れ。
文田は「この期が面白いのは、(売れる)スタートが早かったヤツと、割と後から、それこそ(キングオブコント2023優勝の)サルゴリラとか。和牛もめちゃくちゃ早くはなかったし、順番にバトンタッチして出てくるような感覚があって」と分析。根建は「ハリセンボンはとにかく早過ぎて、秒速で売れていって…」と思い出していた。同期が売れていく姿には「すげえなと。嫉妬はないですね」と口をそろえた。
コンビを組んで20年。長続きする秘訣とは。文田は「仲の良さは重要だと思います」と挙げ、「若い時はコイツと仲良くはないけど、売れるためにやっているのは成立すると思うんです。けど、30歳後半から40歳とかになると、めちゃくちゃ稼いでいたら別ですけど、普通に働いて稼げるようなお金をもらってまで、コイツとずっとしゃべっていなきゃいけないような仕事なのかとなると思います」と無理して続けることはできないとしている。
根建は「2人で一緒に入ってきたので、解散したら他の人とはやろうとは思わない。たぶん、こいつもやらないと思うので。文田と解散して、他の人と組んでまで、お笑いをやりたいかというと、自分はそこまでは…」と、お笑い愛以上にコンビ愛の大切さを口にしていた。
◆囲碁将棋 神奈川県出身で高校・大学の同級生だったNSC東京校9期生の文田大介(ふみた・だいすけ、43)と根建太一(ねだて・たいち、44)が2004年4月に結成。神奈川県住みます芸人、大宮セブンのメンバー。舞台、テレビ、ラジオなどで活躍中。