生きていれば誰しもが「お金に困りたくない」と思うもの。とはいえ、厳しい現代社会の荒波にもまれ、意図せずとも貧しい状況になることもあるだろう。それでは貧乏な家庭で育った子どもたちは、どのような感情を抱くのか。また貧乏が人格形成において、何か影響を与えることはあるのだろうか。
漫画家の吉田貴司さんが手がけた『「貧乏とは何か」に気づいてしまった子ども』は、作者である吉田さんの幼少時代や、その後の家族関係を描いた自伝的エッセイ漫画。同作は『40歳になって考えた父親が40歳だった時のこと』(幻冬舎)の第5話を抜粋したもので、X(旧Twitter)にポストされると、1.2万もの「いいね」が寄せられている。
吉田さんが子どもの頃、自宅にかかってきた電話を取ると相手から「掘ファイナンスですけどお母さんいますか」と告げられる。母がいないことを伝えて電話を切ると、「誰や?」と吉田さんの父が声をかけた。「わからんお母さんいますか?って」と言葉を返すも、父は無言のままだった。
しばらくして再び電話が鳴り、今度は父が出ると、相手が喋り出すまで何も言わずに無言を貫く。そして「誰じゃコラー!!」「なんぼや!!ゴゥラ!!」と怒鳴り散らし、さらに電話を壁に投げつけるのだった…。
吉田さんの家庭内をリアルに描いた同作に対し、読者からは「うちも昔はこんな感じだった。2度と貧乏な暮らしはしたくない」「貧乏はやりくりの方法を知らないってとても共感した」などの反響が続出。そこで作者の吉田さんに『40歳になって考えた父親が40歳だった時のこと』を描いたきっかけや、貧乏に対して思うことなどを聞いた。
―Xに投稿された『「貧乏とは何か」に気づいてしまった子ども』を収録している『40歳になって考えた父親が40歳だった時のこと』を描いたきっかけを教えてください。
ちょっと前に育児エッセイのブームがあって、その時に妻から「あんたもエッセイ描きなさい」と言われていたのですが、どうしても描く気になれませんでした。エッセイは作者の体験したことや、作者の目を通して面白いと思ったことを描くものですが、その性質上どうしても作者が「おかしいと指摘する側」、いわゆる「ツッコミ」の立場になります。
育児エッセイの場合は、作者が子どもや現代の育児環境にツッコミを入れる形になるわけですが、当時は「自分は人にツッコミをいられるほどまともな人間だろうか」という点が引っかかって、うまく描けると思えませんでした。
ただ自身の父親の話を友人にすると、割と驚かれるので「やっぱり自分の父親は世の中的にも変わった人間だったんだな」と思い、彼についてだったら描けるかもしれないと思いました。これが同作を描くきっかけになったと思います。
―作中ではお父様の破天荒な様子や、夫婦喧嘩のリアルな場面が描かれていますが、大人になった今から当時を振り返ると、そういった日常からどのような影響を受けたと感じますか?
影響は受けてると思いますが、わかりやすく因果関係を結んでしまうのはフロイトみたいでイヤですね。ただ家の中で大声出したり、お皿投げたり、暴力的なことはしない人間になりましたね。これは家庭環境の影響かもしれません。
僕は24、5歳の時に家を出ました。その時に「ここにいてはダメだ」と両親を完全に否定する感覚がありました。冷たいかもしれないですが、もうバイト代を渡さないし、どれだけ困っても助けないという感じですかね。
貧乏というのは、その状況ではなく「サイクル」なので、ほぼ永久機関です。家を出ることでなんとかその輪から外れ、そこから結婚したり子供ができたりして、新たな生活スタイルを作って20年経つので、今の生活の中に親の影響はないように思います。
―本作は「貧乏」と「父親」がテーマになる作品だと思います。描き終えた今の吉田さんが思う、理想の父親像をぜひ教えてください。
理想の父親像。考えたこともありませんでした(笑)。一生懸命仕事して、ある程度お金を残して、割と早めに死ぬか隠居して、次の世代に引き継ぐのがいいと思います。でも、それが難しいのでしょうね。
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