自民党の総裁選(27日投開票)に「政治生活の総決算」として挑んだ石破茂元幹事長が〝5度目の正直〟で総裁に選出された。10月1日召集の臨時国会で、岸田文雄首相の後継となる第102代首相に指名される。今年1月、東京・永田町の衆議院第二議員会館で石破氏を取材し、前年に噴出した自民党の「政治とカネ」の問題について話を聞いた。首相就任を前に、その発言の一部を紹介する。(文中一部敬称略)
「古き良き自民党」「保守本流」への思いを吐露した。1993年6月、当時36歳の石破氏は若手議員の同志と共に宮沢喜一首相の自宅に足を運んで「政治改革関連法」などについて直談判。リクルート事件(88年発覚)から、東京佐川急便事件、金丸信元副総裁による約10億円の脱税容疑で逮捕・起訴(93年3月)に至るまで「政治とカネ」を巡る事件が相次ぎ、政治不信が沸点に達していた時代だ。
まず、石破氏は「伊東正義、後藤田正晴という官僚トップ経験者の、政治家としても心から信頼できるお二人から『当選回数1、2回という若いお前たちが一番国民に近いところにいる。お前たちが頑張らないで政治改革ができると思うのか!』とよく叱られて、選挙区を回っては国民の思いを永田町に持ち帰っていました」と回顧した。
その上で、同氏は「小選挙区制度になって20年以上がたち、議員と有権者の接触が密でなくなったような気がします」と指摘。「毎日、暇さえあれば選挙区を歩いて小集会をやって、街頭演説をやってという、かつての自民党の良さがなくなった気がする。有権者が『自民党ってひどいもんだな』と思っても、『他にない』ということで、選挙には勝ってしまう。それでは何も変わりません」と付け加えた。
裏金問題では会計責任者との〝共謀〟が立証できなかったとして、旧安倍派の幹部議員らの立件が見送られた。そこから政治資金規制法を改正し、議員も連帯責任を負う「連座制」の導入を求める声が出ていることを問うと、石破氏は「議員の側に落ち度がない場合でも、有権者から選ばれた国会議員が地位を失うという連座制は本当に国民にとっていいことなのか?それが正しいことなのか、きちんと議論すべきです」。そこは慎重なスタンスだった。
「派閥」の存在意義についても持論を語った。石破派(水月会)は21年12月に派閥を解消している。
石破氏は「そもそも、派閥が何を実現するための組織かということが分からなくなっています。清和会と宏池会は何が違う?同じ自民党でありながら、安全保障政策や経済政策はどこが違う?ということが明確ではないんです」と問題提起。政治資金やポストの配分機能、選挙もある程度は派閥が担っている現状を指摘し、「それまで派閥が担っていた選挙の応援や集金、資金配分、人事などを党に一本化する体制をつくらなければ、『派閥解消』と言っても、それは見せかけだけで、やがてまた忘れられ、自民党は元に戻る…と大勢の人が思っているのではないでしょうか」と切り込んだ。
ただ、こうした〝自民党内野党〟的なポジションから発信してきた「正論」も、10月以降は宰相として政権のトップに立つことにより、〝現実〟に押しつぶされてトーンダウンしたり、妥協を余儀なくされることも考えられる。逆風に見舞われることもあるだろう。それは石破氏でなくとも、不可避だ。
鳥取県知事や自治相を務めた父・石破二朗氏と親しかった田中角栄元首相の勧めで政界入りを志し、86年の衆院選で初当選。「政治の師」と仰ぐ田中のポートレートは、部屋に入って左手の書棚に掲示されていた数人の歴代首相の中でも、1番手で貼られていた。右手の壁には「先憂後楽」という書が額装されていた。北宋(中国の王朝)の忠臣が残したとされる「為政者の心得」を説いた言葉。「為政者は人々(民)に先だって憂い、人々が楽しんだ後で自分も楽しむ」という意味だという。
その精神で、自身の理想をどこまで実現に近づけられるか。荒波の中、石破政権の船出が注目される。