大河『光る君へ』大人びた少女の御供の選定基準とは 藤原道長の娘・彰子、入内の背景 識者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(K.Nakano/)
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 NHK大河ドラマ「光る君へ」第26回は「いけにえの姫」。藤原道長の娘・彰子(見上愛)の入内に関する事が描かれました。長保元年(999)2月9日、道長とその妻・倫子の間に生まれた娘(彰子)は、着裳(女子の成人式)の儀を迎えます。まだ12歳の少女でしたが、彰子は「成人」したのです。同年9月には、彰子の入内(皇后・中宮・女御となる女性が宮中に入ること)に向けた動きが見られますが、それは道長の焦りの現れだったかもしれません。

 当時、一条天皇の中宮・定子は妊娠しており、男子出産の期待が高まっていました。もし、定子が男子を産めば、定子の親族である藤原伊周らが外戚として再び力を持ってしまいます。それは道長としては当然、好ましいことではなかったでしょう。道長としては、自分の娘を一条天皇のもとに嫁がせることにより、天皇に「精神的圧力」をかけようとしたのでしょうか。

 平安時代の歴史物語『栄花物語』(以下、同書と略記することあり)には、彰子入内の準備を急ぐ様が描かれています。彰子の入内は同年11月1日のことでした。同書によると、入内の際のお供は、女房40人、童6人、下仕6人。興味深いのは、見劣りがする女房や衣装が美しくない女性は除いたとあることです。容姿や態度が華やかな者ばかりを選んでお供させたのでした。

 入内の調度には、屏風があり、その屏風には然るべき人々の和歌が貼り付けられました。花山上皇や道長も和歌を詠みました。

 『栄花物語』には書かれていませんが、屏風に貼るために人々に和歌を詠ませたことに不満を持つ者もいました。公家の藤原実資は「公卿の役(仕事)は、荷担ぎや水汲みに及ぶのか」と日記『小右記』に不満をぶつけています。

 さて『栄花物語』には彰子の容姿にも触れていますが、その容貌は大層美しかったようです。まだ少女でしたが、幼いところがなく、大人びていたとのこと。11月7日、彰子を女御とする宣旨が下り、彼女は一条天皇の女御となったのでした。

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