相手が話し終わる前にさえぎって話を始める話法がSNS上で大きな注目を集めている。
きっかけになったのは
「(おそらく大学教員勢そういうのがめっちゃ多いと思うのだが…)就職してずいぶん経つまで、「相手が話し終わる前にさえぎって話を始める」ということが世間では蛇蝎のごとく嫌われる悪の所業なのだという自覚がほとんどなかった…。」
という九州大学准教授の大賀哲さん(@toru_oga)の自戒の投稿。
「①人の話を最後まで聞けない
②途中で話し始める
③勝手にまとめ始める
④要約を求める(で、結局結論はなんですか?)
①から②③④のいずれかに派生するパターンは多い気がしている。自分は①→③、①→④パターンが多い(昔は①→②も多かった気がするが、訓練によってしなくなった。たぶん…)。」
と話法のパターンを分析する大賀さん。大学教員でなくても思い当たる人は多いようで、今回の投稿に対し、SNSユーザー達からは
「これ、研究者勢だけかなと思ってたら、意外(?)と研究者以外もすごい多い。これやる人とは良い人間関係は築けないので、良い指標になってます。」
「民放ならば田原総一朗とかめちゃくちゃ見ていてモヤモヤします。」
「自分は相手の話を普通に遮るのに、自分がそうされると激怒する人もいる。」
など数々の共感の声が寄せられている。
大賀さんにお話を聞いた。
ーー相手を遮ってしゃべる話法はどういった影響で培われるものなのでしょうか?
大賀:私はこれを「研究者村のローカル・ルール」だと思ってます。考えてみると、これには話し手側の事情と聞き手側の事情があるかと思います。
まず、話し手側の事情としては、学者・研究者の話というのは基本的に「長い」ということがあると思います。これは一般人の感覚から考えると、非常識なほど長いです。例えば、学会発表。1人20分って決められてるのにこの時間を守る人はほとんどいません。人によっては倍くらい喋ったりもします。それから、質問に手が上がりました。その人も5分くらいずっと喋ってます、なかなか本題に入らないけど、「この人の質問は一体なんなんだっけ?」ということも珍しくないです。いつ終わるかわからない話を黙って聞き続けるのは辛いですし、途中で遮らないと話が終わらないという事情があるかと思います。
聞き手側の事情としては、コンテクストを共有してないということがあると思います。研究者は皆専門を持ってますが、他人の専門に詳しい人はそんなに多くない。言ってみれば共通理解が少ない、ローコンテクストであるということです。そして、コンテクストを共有するために「話の途中でも基本的なことを確認する」という作業が必要になりますし、話の途中でも遠慮なく確認、質問するということが流儀のようになっている分野もあります。
ーーこの話法のデメリットに気付かれたきっかけをお聞かせください。
大賀:大学教員になったというのが大きいと思います。大学院生の間は大学や学会等、要は交流範囲の大部分は研究者なわけです。そうすると、先ほど言ったような「研究者村のルールの特殊性」にはなかなか気付きません。周りの人間みんなそうなんで。ところが、就職して大学教員になると研究者以外にもいろんな関係性が生まれます。大学の事務の人、出入りの業者さん、スポンサー企業、メディアの方々…研究者以外の人たちとのネットワークが多くなっていくので、自ずと研究者村でしか通用しないようなコミュニケーション・ルールが見直され、おかしさに気付くことになります。
ただ、デメリットを感じているというよりは、TPOに応じて使い分けているというのが近いと思います。先ほどと逆の話になりますが、ビジネスの場では、 要点をかいつまんで簡潔に喋ることが規範となっている場合が多いと思います。そういう場では、そもそも話を遮る必要がありません。また、同じ組織内などコンテクストを共有しているコミュニティであれば確認作業に時間をかけることもないでしょう。あと、これが一番大きいですが、マナーの要素というのはあるかと思います。これは研究者が失礼な人たちという意味ではなく、あまりそういう礼儀、マナーよりも議論の中身を重視する人たちが多いし、それが望ましいと思われているくらいの意味合いです。ですので、デメリットというよりは使い分けですね。
ーー投稿の反響へのご感想をお聞かせください。
大賀:先ほど、「研究者村のローカル・ルール」ということを言ったんですが、研究者の中でも分野によってさまざまだなと思いました。実務に近い領域だと、研究者以外の方との交流が普段からあるので随分勝手が違うのかなとも思いました。あと、大学以外の世界、一般企業とかでもそういう人はいるようなので、大学だけに特異なルールではないのかとも思います。ただ、「基本的に話の長い人たち」が「まったく違うコンテクスト」で、「何十年年百年も決着のつかない争点を議論している」ということを考えると、適度な交通整理は必要だし、そうすると結局話の途中でも遮って喋る話法になってしまうのかなと思います。
◇ ◇
一般社会でも相手の話を遮ってでも発言しなければならない局面は存在する。大賀さんのお話を聞いていると、空気を読んでスムーズな会話のキャッチボールをするセンスも必要だが、時にはあえてその真逆をゆく胆力も同等に重要なのではないかと思わされた。
大賀哲(おおが・とおる)さんプロフィール
九州大学大学院院法学研究院・准教授(国際政治学)。
1975年東京都生まれ。英国エセックス大学政治学部博士課程修了(Ph.D. in Ideology and Discourse Analysis)。神戸大学大学院国際協力研究科・助教を経て、2008年より現職。この間、オックスフォード大学セントアントニーズコレッジ・客員研究員、ケンブリッジ大学アジア中東学部・客員研究員、コロンビア大学人権研究所・客員研究員など。
専門は国際政治学、国際関係論、東アジア政治。主著に『東アジアにおける国家と市民社会』(柏書房、2013年)、『北東アジアの市民社会』(国際書院、編著、2013年)、『国際社会の意義と限界』(国際書院、共編著、2008年)、『共生社会の再構築』(全4巻、法律文化社、共編著、2019-2020年)。
Twitterアカウント:https://twitter.com/toru_oga
公式サイト:https://toruoga.net/