ジャーナリスト、参議院議員、作家などマルチに活躍してきた俳優の中村敦夫(82)が昨年、カルト宗教と信者を描いた小説「狙われた羊」(講談社)を約30年ぶりに復刊して注目された。その中村には、ちょうど半世紀前となる1973年の正月映画として製作されながら公開中止となり、お蔵入りとなった「幻の主演映画」がある。中村がよろず~ニュースの取材に対し、その内容や経緯、さらに、背景として「木枯し紋次郎の時代」について語った。(文中敬称略)
封印された映画のタイトルは「夕映えに明日は消えた」。東宝系の正月映画で、中村にとっては前年に大ヒットしたフジテレビ系時代劇ドラマ「木枯し紋次郎」の流れを受けた映画初主演作となるはずだった。
長い楊枝(ようじ)をくわえ、「あっしには関わりのねぇことでござんす」の決めゼリフが流行語になった紋次郎ブーム。そのイメージを引き継ぎ、村人のために戦う渡世人を演じたという。さらに、自ら作詞して歌った主題歌もレコード発売。監督は東宝ニューアクションの旗手として注目された西村潔で、脚本は原作者の笹沢左保と後にテレビドラマでヒット作を連発するジェームス三木の共作。敵役となる兄弟に原田芳雄、阿藤海(当時)、岸田森ら個性的なキャストが配された。
その内容について、中村は「(黒澤明監督の)『七人の侍』に似ている設定もあり、村人に雇われた渡世人が散々な目に遭いながら、悪い奴らを退治して事が収まるんだけど、結局、助けてあげた村人たちに捨てられるという、現実の政治に似ているところがあった。ただ、〝政治的〟といっても、左とか右とかの立場に立って作ったような作品ではなく、思想的なことにも関係ない。もっと深く『人間社会ってこんなものだよ』ということを描いた作品です」と説明した。
だが、作品は73年1月には公開されず、数年後の70年代後半に高知県と京都府の一部映画館で上映されたという記録が残るのみ。中村は「試写はもちろん見ました。私にとっては、紋次郎をやっている最中で、一番人気があって、騒がれている時の勝負作品だったんですよ。私からいろんな提案もしたし、出来もすごく良く、正月映画として大宣伝したのにも関わらず、上映されなかったのは(日本映画界の)七不思議だと思いますね」と振り返る。
西村監督の映画作品は後追い世代に注目され、デビュー作「死ぬにはまだ早い」(69年)や音楽面での注目度も高かった代表作「白昼の襲撃」(70年)が昨年7月に発売された「東宝DVD名作セレクション」の中で初ソフト化された。その流れで、将来的に「夕映えに明日は消えた」がソフト化される可能性はあるのだろうか。
記者は「『夕映えに明日は消えた』が公開されなかった理由、ソフト化の可能性」の2点について東宝に問い合わせた。同社担当者は、関連部署への確認作業を経た上で「お蔵入りの理由ははっきりしないそうです。そして、そうである以上、今後パッケージが出る予定もないとのことです」と回答した。
やはり、半世紀も昔の話。未公開の理由は不明のままだった。中村は「公開されなかった理由について、私も関係者にはいろいろ聞いたのですが、(あくまで推察の一つとして)当時、監督問題の騒動が東宝で起きていて、その中にあの作品も巻き込まれたんじゃないか…という説を語る人もいるんですよ。ただ、私は会社の内情まで知らないですし、確かめようもないです」と明かした。
西村監督はその後、アクション系テレビドラマの演出でも活躍。「大追跡」「探偵物語」「西部警察」「プロハンター」などで数多くの作品を手がけた。映画では夜の公道でのカーチェイスを官能的に活写した「ヘアピン・サーカス」(72年公開)などが再評価され、今世紀になってDVD化が続いている。だが、「夕映えに-」は対象外。中村は「何度か(ファンの)上映運動もありました。フィルムはどこかにあるみたいですけど…。もう見ることはないのでしょうかね」と惜しんだ。
その上で同作の時代背景を語った。中村は「紋次郎(シリーズ)最初の放送は72年。連合赤軍事件、日中国交回復など大きな出来事があった年で、翌年がオイルショック。高度経済成長がものすごく灰色になってきた時代で、モーレツ社員が会社に捨てられ、一本立ちを余儀なくされるような時代だった。そういう意味で(一匹狼の紋次郎は)時代を反映していた。労働組合から助けてもらえず、会社からは嫌われて…という立場の人たちを中心に据えてできた考え方ですよね」と回顧。最後に「今の時代も似ていますから」と付け加えた。
「紋次郎の時代」が生んだ幻の映画。今後もソフト化の予定はなく、ほぼ永遠に観ることがかなわないからこそ、「伝説」として語り継がれていくだろう。