6月に四国で開催された、なべおさみ一座特別公演「吹けば飛ぶよな男だが」が盛況の内に幕を閉じた。83歳にして健在ぶりを発揮した座長・なべおさみについて、舞台で父との初共演を果たした息子の芸人・なべやかん(51)が、その演技指導、「寅さん」の衣装を譲り受けた名優・渥美清さんとの縁、昭和芸能史を代表する大スターのそばで体得した「酒を飲まない」人生哲学が生まれた理由を明かした。
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今年の6月は芸能生活31年目でお初の出来事があった。吉本興業110周年感謝祭「なべおさみ一座特別公演『吹けば飛ぶよな男だが』」全12公演が四国で行われた。何が「お初」かと言うと、父・おさみと舞台をやった事である。今まで映画、ドラマ、ビデオシネマで共演する事は各1度ずつあったが、舞台は初で、しかも座長が父という複雑な気持ちで舞台稽古に突入した。若い頃だったら絶対にオファーを断っていたと思う。自分のある程度の年齢になり、芸歴も積んできたので、父と一緒の舞台を受ける準備ができたのだ。
今回、我ら親子以外の出演者は、よしもと新喜劇の人たちだったので、稽古は大阪で行われた。一般的な劇団の稽古をイメージしていたのだが、稽古が始まるとそのイメージとは大きく違った。それは日数も一日の稽古時間も少ないという事だ。90分のお芝居を1週間で作り上げる。しかも、中日は稽古お休み。毎回の稽古時間も長くて3時間、そんな感じだ。出演者の新名徹郎君に、普段のよしもと新喜劇稽古日数を聞くと、さらに驚いた。なんと2日間で、しかも2日目に本番を迎える。そんな事に慣れているプロフェッショナルな人たちなので、芝居を作っていくスピードが速い。舞台を作りながら、座長が若手の演技指導をする事は多々あったが、拍子抜けするくらい自分にはしてこなかった。
稽古が終わり、ホテルまで毎回、座長(※なべおさみ)と歩いて帰るのだが、その時、座長の演技指導が入った。座長が言ったのはマーロン・ブランドやロバート・デ・ニーロが学んだメソッド演技法の話だった。芝居だからといって無理に演技するのではなく、「自然な形で演技を行いなさい」という事だった。なので、「無駄な動きを極力控えろ」という指導をされた。
稽古場で指導が入ったのは全体稽古前に自主練をしている時だった。「小さい動きはいらない、舞台だから大きく見せなさい」。指示はそれだけだった。
一見、メソッド演技法と矛盾しているように思えるが、そこを臨機応変に演じなければいけない。しかも、よしもと新喜劇だからベタなお笑い要素も入って来る。
旅の先々で座長は皆に思い出話をしていた。今回衣装で着ている寅さん風の服は、渥美清さんにいただいた物で、実際に寅さんが着ていた衣装だという話だ。
「ナベプロ時代、渡辺晋社長から『今度の正月のかくし芸大会で8分やるから何か考えとけ』って言われたんだよ。それで香具師(やし)の啖呵売(たんかばい)を勉強して覚えてやることにしたんだ。当時、山田洋次先生の『吹けば飛ぶよな男だが』の撮影中で、撮影の合間に啖呵売の練習していたんだよ。それを山田先生が傍で観ていたから、もしかしたら寅さんに影響を与えたのかもしれないね。渥美さんが松竹で撮影していると、いつも楽屋に呼ばれてテレビの世界の話を教えてって言われてたんだ。渥美さん、映画にしか出なくなってたから、テレビの事が分からなかったんだよね。それを面白おかしく話してたの。その時に、かくし芸後も営業の余興で啖呵売をやっている事を話したら、それだったら寅さんでやりなよって言われて衣装をくれたんだよね。でも、寅さんのモノマネをする芸人が多かったから衣装は使わずにいた。だから今回使うのがお初なんだ」
息子と舞台共演もお初なら、寅さん衣装もお初。さまざまな封印が83歳にして解かれたのだ!
渥美さん以外の思い出話もしていて、それは付き人時代の話だった。
「当時、勝新太郎さんの付き人を終え、水原弘さんの付き人をしていたのだけど、水原さんは、勝さん、美空ひばりさん、石原裕次郎さんの4人でいつも集まってお酒を飲んだり麻雀したりしていた。その場に唯一、一緒にいられるのが俺だけだったんだよ。お酒作ったり、いろんな事をしながら、自分はこの人たちのようになれるのかなって考えたね。でも、あの人たちと同じ事をしていたら絶対に勝てないから、自分に何かできる事はないかなって考えた結果、『酒を飲まない人生にしよう』って思ったんだ。みんな早くに逝ってしまったでしょ?自分は酒を飲まない事で、あの人たちより長くこの世界でやれているのだと思うんだよね」
父は、偉大なレジェンドたちと過ごせた日々を思い出しながら語っていた。あの当時、誓いを立てた「お酒を飲まない人生」のおかげで、83歳で座長を務めて、旅公演ができているのかもしれない。
公演が終わり、座長がみんなに「この一座で全国をあと200公演回りたいです」と宣言。座員全員で「無理やって!!」と笑顔でツッコむ。なべおさみ一座は、そんな仲の良い一座だった。