大河『光る君へ』“悪役”を担った藤原道兼死す!実は親密だった!?道兼と道長の兄弟愛 識者が語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(しゃぽ。/stock.adobe.com)
画像はイメージです(しゃぽ。/stock.adobe.com)

 NHK大河ドラマ「光る君へ」第18回は「岐路」。ドラマ初回より悪役として「君臨」してきた藤原道兼の死が描かれました。長徳元年(995)4月10日、道兼の兄で前関白であった藤原道隆が病没します。道隆は関白の継承者として、嫡男の伊周を推薦していましたが、それは叶わず。代わって、4月27日、関白に就任したのは、道兼でした。道兼、34歳の時のことです。しかし、関白に就任した道兼の体調は優れません。風邪かと思い、風邪薬を飲んでいたようですが、一向に治らず。そればかりか、起居に不自由を感じるまで悪化するのです(平安時代の歴史物語『栄花物語』)。

 『栄花物語』(以下、同書と記載することあり)には、道兼の関白就任は世の人に歓迎されていたとあります。藤原道長も兄・道兼の関白就任に満足していたとのこと。それもこれも、道隆の嫡男・伊周が天下の大政を握らんとしたことへの反発からだったようです。

 さて、5月に入ると、道兼の病状は進み、発熱します。熱が出て、苦しげな様子であったにもかかわらず、彼は平癒の祈祷や読経を命じなかったと言います。関白に就任した直後に、そうした祈祷を行うことへのためらいがあったと同書にはあります。体調が悪化していくにもかかわらず、道兼は平気を装い、起居し、苦しんでいたのでした。

 そうした折りに、毎日、道兼の邸を訪れたのが、その弟・道長でした。同書によると、道兼の邸を道長が毎日のように訪れ、種々、指図していたようです。道兼は稀に体調が良くなる日もあり、そのような時は参内しました。

 ところが、いよいよ、病の悪化を周囲に隠し切れなくなり、殿中は大騒動となるのです。当時、都では疫病が流行り、多くの庶民や公卿も亡くなっていました。道兼も疫病に感染したと思われます。そして、5月8日、この世を去るのです。『栄花物語』には、道兼の死に衝撃を受けた道長の姿が描かれています。

 道兼と道長は気が合い、仲が良く、道兼の病中も色々と世話をしていたからです。大河ドラマでは、殴り合いの喧嘩をするほど険悪に描かれた兄弟ですが『栄花物語』では親密と記載されているのです。もちろん、同書も物語ですので、どこまで本当かは分かりませんが、興味深い記述ではあります。

おすすめニュース

気になるキーワード

新着ニュース