ネット未開の時代。オタクと呼ばれ始めた熱い情熱は、どのように昇華したのか。80年代の大阪で青春を過ごし、現在は松屋町で絶版漫画バナナクレープを営む小谷和豊店長に、思い出を聞いた。
夢のような時間だった。アニソン界の大御所、水木一郎が目前にいる。マジンガーZ、バビル2世…代表曲を歌う仲間と一緒に直接、歌唱レッスンを受けたのだ。
「アルバム『OTAKEBI参上!吠える男』(89年)を発表された頃でした。とても楽しく、和気あいあいとした会でした。今では到底考えられないことでしょうね」
アニソン界にニューミュージックやアイドル歌手が台頭し、水木にとって不遇の時期とはいえ、超異例の出来事。舞台は、毎回楽しみにしていたATOMの歌会だった。
ATOMは「アニソン・特ソン・おおいに・守り楽しむ会」の略称。偶数月の第2日曜日、森ノ宮の青少年センター(現大阪市教育会館)で定期開催され、アニメソングや特撮ソングを合唱した。藤子不二雄、仮面ライダーなどテーマは当日決められ、歌詞カードが配布されたという。
出会いは85年ごろの5月。同人誌即売会が催された中之島公会堂の外で、特別開催されていた歌会に飛び入り参加し、誘われた。
「小学生の男の子が『ウルトラマンA』を歌い、周囲からよく知ってるなあ、と褒められていました。さすがの彼も『ジャイアントロボ』や『月光仮面』は歌えませんでしたけどね」と懐かしむ。
幹部以外に連絡網はなく、歌会への参加予約は不要。互いの名前や連絡先を明かす慣習もなく「おたくは何が好きですか…」といった、オタクの語源とされる会話が繰り広げられた。男性中心に常時、30~50人が参加。通称が用いられ、小谷店長はミンキー(『ミンキーモモ』から)だった。
「最初に自己紹介が行われるのですが、ウケを狙わなければならない雰囲気がありました。ある女性が好きな花は…と話したので、次の順番だった私は『好きな花はケロニア(ウルトラマンに登場した植物怪獣)です』と答えたものです」